× 第4章 【炎と烙印】 7 ×





 さて、色々と疑問質問等はあるものの。メイドとしては、日々のあれこれをする時間がずれるというのは、どうにもこうにも迷惑なわけで。
 協議(?)をしていたせいで夕食の準備時間が大幅に削られ、イグネアは大変慌てていた。おやつ同様、朝・昼・夕の食事の時間もきっちりと決まっており、遅れればまたしてもオンブルが小言を言って来るのである。今日に至ってはすでに小言を頂戴した後で、そのうえ面倒事を持ち込んだ……と余計な愚痴まで言われたが、慌てていたイグネアはさっぱり聞いちゃいなかった。
 白いフリルのエプロン装着で厨房に立ったイグネアは、鍋を出したり材料を刻んだりせっせと働いている。さて、いつものように野菜スープを作らねばと意気込んだ所で不意に視線を感じ、何事かと振り返った。
「……その手際の良さが何だか恐ろしい」
 驚愕の表情でこちらを見ていたのはヒュドールだ。協議の後、美形共は屋敷内(地下以外)を探索し、とりあえず各々自分の部屋を確保していたため、一歩厨房入りが遅れたというわけだ。
 そういえばすっかり忘れていたが、今夜からは二名ほど住人が増えたのだった。
 さきほど少々話し合った結果、ヒュドールは自身の身の回りのことと炊事はやってやるが、他は一切やらないと断言して来た。まあ仮にもスペリオルの国力と言われる魔術師が、家政婦のようなことをするものかという気持ちは理解出来る。とりあえず料理だけでもやってくれれば有難いというリーフとオンブルの言葉には若干納得がいかないものの、イグネア自身も少しは楽になって有難いというものだ。
 ヒュドールはイグネアの隣に並び、手際よく刻まれた野菜たちに視線を落して複雑な気分に陥っていた。あのリーフさえも青ざめるとは、一体どんな料理を食わせていたのか気になるものの、包丁を持つ手も切り方も普通に様になっている。
「ずいぶん慣れたものだな」
「ええ、まあ、半年近くもやってますし。近所にミリアムさんという若奥さんがいまして、その方が親切に色々と教えてくださったんですよ」
 せっせと動きながら、イグネアは何の意図も込めずに答えたのだが。
 ヒュドールは不機嫌そうな顔をしていた。町中でどこぞの婦人が言っていたように、なんだか本当にこの家に嫁に来たようではないか。だいたい、この小娘は周囲からどんな風に見られているか知っているのだろうか。
 そんなヒュドールの心情になど気付くはずもなく、イグネアは手を動かしていたのだが。ふとある事を思い出した。
「そういえば、あなたは他人の作った物はだめなんですよね。どうしましょう、私は引っ込んでいた方がいいですか?」
 眼鏡を押し上げつつ問うと、ヒュドールはほんのり言い難そうな、そんな雰囲気をかもし出しつつ軽く息を吐いた。
「……別に、平気だ」
 ヒュドールが他人の施しを受けるようになったことは、ある意味天地がひっくり返るほどの大いなる進化だ。イグネアはその重大さをイマイチ理解していないが、それでもこの変化にはほんのり驚いた。そして、さきほど茶を淹れた時に抱いた違和感の理由を知った。他人の作ったものが平気になったから、お茶も飲めたのだ。
「そうなんですか。それは良かったですね」
「う……ま、まあな」
 何がいいのかはイマイチよくわからないが、のほほんとした笑顔を向けられ、ヒュドールは若干戸惑っていた。

「ともかく、さっさと夕食の支度をしないとオンブルさんが小言を言うんですよ。というわけで、早いところ六人分用意してしまいましょう」
 こうして話をしている間も惜しいとばかり、イグネアが包丁片手にやる気になっていると。
「貸せ」
 ヒュドールはイグネアの手から包丁を抜き取り、代わりに材料を刻み始めた。その手際の良さといえばイグネアとは比較にならないもので、まるで料理上手のミリアムを見ているようだ。さすがである。
「いいお嫁さんになれそうですねえ」
 などと、若干どころか大いにずれた発言をかましながら、半年と八年の差はこういうものなのかと頷きつつ、イグネアは感心しながら眺めていた。
 そんな中、ヒュドールは内心でげんなりしていた。だいたい男の俺がそんな事を言われて嬉しいわけないだろう。というか、普通それは男が言う台詞だろうが……などと愚痴っていたが、ふとある違和感を抱いてぴたりと手を止めた。
「……六人?」
 自分とリヒト、それからイグネアにリーフにオンブル、どう計算しても五人ではないか。どういう理由かと問い詰めようかと思ったのだが……
「あ、そっちはお願いしますね。私はこっちでスープ作ってるんで」
 イグネアはヒュドールの疑問などそっちのけで、せっせと自分の世界に浸っていた。


 そんなこんなでいつもの時間に少々遅れ、ようやく夕食の時間と相成った。朝に限らず、食事の支度が終わる頃、一番に姿を見せるのはリーフである。今回からはヒュドールもいることだし、半年も続いた野菜スープからようやく解放されるとでも思ったのだろう、意気揚々として現れたのだが。
「……また野菜……」
 不満を言いやがった。
 多少メニューが変わったとはいえ、相変わらずイグネアの野菜スープも並んでいるではないか。きらきらと(小賢しく)輝いていた笑顔は途端に曇り、リーフはひどく残念そうに項垂れていた。
「何だその不満げな顔は。嫌なら食うな。だいたい、作れと言っても材料がないんだから仕方ないだろうが」
 いつもならばイグネアが相手なので文句もぶーぶーなのだが、何せ相手は己と対等に渡り合う毒舌家である。そのうえ怒らせて夢の豪華な食事にありつけなくなるのは嫌なので、リーフは文句ありげな視線を向けるも、仕方なくのっそり席についた。
「ああ、腹減った」
 続いて現れたのはリヒトだ。今までの居住者といえば、見た目“子供”のリーフと変人二人であったが、煌びやかな美形の騎士様がいるだけで場が華やぐ(ような気がする)。が、いかんせんこの家で若い娘といえばイグネアだけで、しかも乙女心皆無な相手であるから、そんな事実は微塵も気にしちゃいないのだが。
 席に着いたリヒトは、きちんと手を合わせて食前の挨拶をしてから食事に手を付け始めた。王宮の騎士様はどんな状況下においても綺麗に物を食べるんだなあ、などとイグネアは少々見入っていた。まるでそこだけ王宮の一部屋のようである(気持ちの問題)。
「このスープ、美味しいね」
「あ、それ私が作ったんですよ」
「へえ、君が?」
「近所に料理上手の若奥さんがいるんですが、その方に教えていただいたんですよ」
 イグネアが自慢げに話すと、リヒトは感心したように頷いていた。ちなみにイグネアは自身の腕前を自慢したのではなく、ミリアムの自慢をしたのだが、それが通じたかどうかは微妙である。
「そうなんだ。塩加減が絶妙で、とても美味しいよ」
「でしょう? ミリアムさん直伝の野菜スープは塩が決め手なんですよ」
 それでこそ、命がけで塩を買いに行ったかいがあるというものだ。イグネアは「やはり行ってよかった」と内心で大満足である。
「その調子でお料理頑張ってね。俺のために」
 若干爆弾とも取れる発言と共に、女泣かせの美麗な笑顔が投げかけられた。
 ヒュドールがいることだし、別に自分が頑張らなくとも食事面は安泰だと思われるのだが……当のイグネアは何のことやらと首を傾げていたが、ヒュドールは眉間にしわを寄せ、またリーフは食事する手をぴたりと止めた。どうやら双方、違う意味であろうと即座に理解したらしい。
 一瞬だけ奇妙な間が広がった。黄金の瞳は余裕げに、青碧の瞳は不愉快げに、そして深緑の瞳は物言いたげに。それぞれ意味ありげな視線を一気に向けてきて、イグネアは大いに怯んでいた。はて、私は何かまたやらかしただろうかと。
 さて、そんな微妙な空気を壊してくれたのは誰かというと……
「どうでもいいが、コイツは誰なんだっ?!」
 さっきから気になって仕方がなかったとでも言いたげに突如立ち上がり、ヒュドールはイラッとした様子でリーフの隣を指差した。いつの間に現れたのか、そこには奇妙な風貌の青年が座っていた。その場の話などまるで興味がないと言わんばかり、黙々と食事に勤しんでいる。
「あ、この人は先生の助手のモルさんだよ」
 ね? と愛嬌のある笑顔を向けると、モルは無表情の顔を上げて軽く頷いた。彼には特別な説明をしなくとも大丈夫らしい。リーフの猫被りにも動じないし、むしろ普通に受け入れている。そして新たな住人達のことにも微塵も興味がない様子。
「それはいいとして、何者だっ!」
「ええと……彼は少々変わった人でして。でも悪い人ではないですし、無口なだけで特に害はないので気にしないで下さい」
「気にするなという方がおかしいだろ?!」
 イグネアが脇から説明を入れるが、ヒュドールは納得がいかないようであった。どうりでさっき“六人”と言っていたわけだが、まるで気配を感じなかったし、物音一つ立てずに現れるとは只者ではない。
 そんな中、リヒトは不思議そうにモルを見ていた。
「あれ? 君は以前、どこかで会ったことがある気がするんだけど」
 どうやら“奇妙な造形の色眼鏡”に反応したらしい。しみじみとモルの顔を眺めてリヒトは過去を思い返していた。たしか、リエスタで……と口にした途端、まずいと思ったイグネアが青ざめて「あーっ」と声を上げた。
「そ、それはきっと気のせいですよっ! ほら、他人のそら似なんてよくあることですしっ」
「? そうかな」
「そうですよ!」
 かなり強引に話を誤魔化すと、そうかも知れないとリヒトはあっさり納得してくれ、イグネアは安堵の溜め息を吐いた。モルがリエスタに住んでいるモグラと同一人物かどうかはいまだに謎だし、はっきり言って彼に似ている人間なんて他に存在しそうにない。それに知られたからと言って特別困ることもないのだが、なんだか話がややこしくなりそうなので阻止した次第である。
 そうこうしているうちにモルはさっさと食事を終え、またしてもいつの間にか姿を消していた。相変わらず、食事だけはきっちり完食である。
「俺たちに気配を悟られず消えるとは……」
「やっぱり只者じゃないね」
 その謎めいた行動に美形共は呆気に取られていた。さすがはあの変人っぽい男の助手だ、などと妙に納得していた。ヒュドールに至っては、このある意味非常識な魔術師どもと関係しているのだから、恐らく真っ当な存在ではないのだろう……と、なかなかに鋭い考えさえも抱いていた。
 そんなこんなでモルと入れ替わり、ようやく屋敷の主が姿を見せた。相変わらずの重苦しい雰囲気をまとい、増えた住人に遠慮もなく陰鬱な溜め息を零し、オンブルは食卓に視線を向けたのだが……
「またしても野菜……料理が出来るというから、置いてやったというのに」
 ひどくがっかりした様子で不満を言いやがった。
 しかし相手は鈍臭いメイド娘ではなく、誰もが認める容赦ない青年である。加えてイグネアに関しての“不愉快な噂”の原因でもある相手に、ヒュドールが大人しくしているはずもなく。
「嫌なら食うな」
 青碧の瞳にぎろりと睨まれ、オンブルは若干怯んだ。それが屋敷の主に対する態度なのか、とか何とか愚痴を零しつつ渋々席につき、相変わらず並んでいる野菜スープに手をつける。文句を言いつつも、“下手に美味い”ので結局は食べるのだから、大人しくしていればいいものを。
「……肉が食いたい」
「それは僕も同感だよ」
 オンブルの呟きにリーフが同調し、揃って訴えるような視線を向けた。
 視線を受けたヒュドールはというと、麗しい顔に似つかわしくない舌打ちをし、イラッとしていた。
「とりあえず明日の朝までは文句を言うな!」
 なんだか母親にでもなったような気分だ。というか、なんで俺がこんな大人気ない大人と、可愛くもないガキの食事の世話をしなきゃならんのだ……と、今さらながらほんのり後悔したヒュドールである。

 さて、住人が顔をそろえれば、込み入った話になるわけで。
「ところでさ、自警団って何をすればいいの?」
 明日から始まる(であろう)自分の仕事を確認しようと、リヒトがリーフに問いかけた。
「カディールの襲撃から町を護るんだよ。でも町の人たちはほとんど闘う力はないからね、お兄さんには期待してるよ」
「まあ、“俺達”はそれが本職だからね」
 黄金の瞳がちらと見遣ると、ヒュドールは無言で頷いた。二人はコンビだし、いざとなればヒュドールも闘う気持ちはあるのだ。
「で、そのカディールってどういう鳥なの?」
 古から存在する魔鳥、体内には万能の力を持つ血、そして度々現れるのは偽物――イグネアの呪いもかかっているのだから、もう少し詳しく知りたいと思うのは当然だ。
 すると、リーフは隣に座っていたオンブルを肘で小突き、説明しろと無言の圧力をかけた。リーフ自らが話せば早いのだが、あまり物を知っているとリヒトの手前都合が悪い。余計な詮索をされるのも面倒なのだ。
「……カディールは賢く獰猛な“害鳥”だ。見た目は美しいが、羽根の一枚一枚、そして銀の尾には敵を麻痺させる液を分泌する。死にはしないが、触れれば一定時間は動けなくなるだろう」
「“偽物”とはどういう意味なんだ?」
 今度はヒュドールが問うと、琥珀の瞳が気難しげにそちらを見た。どうもこの二人も相性は悪いらしい。
「カディールは害鳥だが、古の世界ではその血を狙って乱獲されていた。その結果、奴等は一度に数羽産み落す子孫全てに“万能の血”を与えないよう、進化を遂げた。私の研究によると、万能の血を与えられる確率は百分の一、つまり百羽に一羽いればいいということだな」
 そこで一息吐き、オンブルは言葉を繋げた。
「“本物”は偽物など比べ物にならないほど獰猛で、魔力を持っている。また、口からは火炎を吐き出すとも言われている」
 ……というのは全て、過去に“本物”を見た事があるリーフから仕入れた情報だったりするのだが。
「そういうわけで、僕は自警団の人たちに協力してるんだよ。それこそ“本物”が現れたら一般人じゃ太刀打ちできないし、なんとしても捕獲したいからね。まあ偽物の対処法としては、“これ”も有効手段の一つだけど」
 そう言って、リーフは小さな鈴を掲げて見せた。鈴と言っても形だけで、普通の人間には音は聞こえない。
「それは?」
「先生が作った“魔除け”。魔術が施されてるんだ。僕たちにはちっとも聞こえないんだけど、カディールには嫌な音が聞こえるんだって。だから弱い偽物は一定以上は近づいてこない。ちなみにリトスの町内全ての家には、同じような仕組みになってる“護符”が貼り付けてあるし、町民全員がこれを持ってる」
 だからカディールが何度襲撃してきてもほとんど怪我人はない、とリーフが説明すると、美形共はそろって頷き、感心していた。かなり変人っぽく奇抜で陰湿な感じはするが、どうやらそこそこ役に立つらしい。青碧と黄金の瞳がそろってオンブルを見たが、彼は居心地悪そうに顔をそむけていた。
 それにしても、この男は一体どういう系の魔術師なのだろうか。ヒュドールは内心で疑問を抱いていた。まあ、このプレシウの魔術師どもに関係しているくらいだから、真っ当な存在でないという事だけはわかるが。
「そうそう。イグネアだけはこの魔除けが効かないから、一人で外を歩かせないでね」
 リーフが言った途端、二つの視線がオンブルからイグネアに移動してきた。一度に視線を集めたイグネアは、案の定怯んでいたが。
「なんで?」
「ええと、このミールスの呪いのせいで、外部からの魔術を一切受け付けないようなのです」
「それは不便だね。だからさっき追われてたんだ」
 リヒトが余計なことを言った途端、「お主は言い付けを破りおったな」という意味を込めて深緑の瞳がひそかに睨んできて、イグネアはこっそり怯んでいた。これは後で間違いなく嫌味を頂戴しそうだ。
「でも安心してよ。か弱い姫のことは、それこそこの俺が一日中、付きっ切りで護衛してあげるから」
「は、はあ……」
 リヒトにものすごい美麗な笑顔を向けられてイグネアは大そう困惑し、そのフェミニスト炸裂な台詞に周囲はむず痒そうな顔をしていたが。
「その前に、お兄さんたちは魔除けを“買って”よね」
 ごもっともなリーフの意見と共に、夕食の時間は終わりを告げた。




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