× 第4章 【炎と烙印】 8 ×





 夕食が終わると、イグネアは再び厨房に戻ってせっせと洗い物をしていた。その横では不機嫌そうに苛立っているヒュドールが鍋を洗っている。彼いわく“洗い物”も炊事のうちなので、ここまではやってくれるらしい。
「あの変人め、吹っかけやがって!」
 と遠慮もなしに文句を言っているのには理由がある。
 リヒトとヒュドールは結局魔除けを買わされたのだが、それが町民に売るより三倍近く釣りあがった値段だったのだ。オンブルによれば、二人は“いまだ納得のいかない居候”であるらしい。だから欲しければ自分の言う値で買え、と珍しく高圧的に言ってきたのだ。
 最初はそんなものに頼るものかと美形共は難色を示していたが、「大国スペリオルの騎士と魔術師が、この程度のあぶく銭を払えないのか」という挑発が少なからずプライドに触ったらしく、半ば自棄とも言えるが結果的に提示された高額で購入したのである。ちなみに自棄を起こしたのはヒュドールだけだが。
「……あの男は何者なんだ?」
 今は二人きりであるのを理由に、ヒュドールがこっそり問いかけてきた。視線は背後を見遣り、一応誰もいないことを確認する。
「彼はプレシウに存在していた【奇術師】の末裔です。リーフは、彼に自分と私の呪いを解かせようとしています」
 一般的な魔術師とは違い、【奇術師】の存在はほとんどと言っていいほど語り継がれていない。よほど研究熱心か魔術師界に興味がある者以外、名前すら知らない場合が多いほど知名度は低く、むしろ“隠された”存在だった。士官学校を主席で卒業したヒュドールは、そんな存在がいたという程度には知っていた。だからあんな変な魔除けやらが作れるわけだと納得する。
「信用できるのか?」
「【奇術師】はともかく、末裔であるオンブルさんの魔術に関しては私はあまりよく知りませんけど、リーフが本気を出しているくらいなので、まあ大丈夫でしょう。けれど、やはりカディールの血がなければ呪いは解けないそうです」
 あの変人はともかくとしても、リーフのガキが頼りにされている辺りが大いに気に入らないのだが。
「一応聞いておくが、“呪いが解ける”というのは、全ての呪いか?」
「そうなりますねえ」
 のほほんと答えたイグネアの横顔を、青碧の瞳がちらと見遣る。恐らくリーフは、この言葉を巧みに利用してイグネアを連れ出したのだろう。その辺りには未だ納得がいかない部分もあるが、とりあえず全ての呪いが解けるならばこちらとしても都合が良い。
「ところで、あのガキの呪いって何だ?」
「ええと、それはですねえ……」
 うっかり言いかけたところでイグネアははっとし、口をつぐんだ。いくらなんでも、他人の秘密を簡単に言ってしまっていいものだろうか。だいたい勝手に言うとあとで嫌という程毒舌嫌味が降って来るので困るのだが。
 ヒュドールは肺に溜まった二酸化炭素を全て吐き出すかのような勢いで盛大な溜め息を吐いた。
「あのな、ここまで巻き込まれて事情を知らないのは不愉快極まりない。それにアンタには今すぐ聞きたいことが他にも色々、山ほどあるんだ。穏便に聞いてやっているだけ有難く思え。だが正直に言わないと氷漬けにして海に流してやるぞ」
「うっ……」
 チョビヒゲの書状さえあれば、いかなる手を使ってでも(いわゆる拷問をしてでも)全て吐かせられるんだぞ、と止めに脅しを食らい、イグネアは大いに怯んだ。まさかそこまでしないだろうとは思うものの、ヒュドールの言い分も最もだし、ここは仕方がないだろうと自分に言い聞かせ、渋々口を開く。
「リーフの呪いは“身体の成長を止める”という、あれです」
 ヒュドールはぴたりと手を止めた。それは、イグネア自身にも施されている術ではないか。
「ちょっと待て。それはつまり……」
「はい。私は結果的に四つどころか、初めから五つもの呪いを抱えていたのです。今はミールスを入れて六つですね」
 イグネアはあっさりと言ってのけたが、それは大そうな嫌がらせではなかろうか。
「リーフは奇術師に嘘を吐かれ、呪いとは知らされずに術を受けたそうです。それがどうにも屈辱だったらしく……末裔であるオンブルさんに責任を取らせようと、まあ半ば強制的にここに居候することにした次第であります、はい」
 まるで上官に報告をする兵士のような口調でイグネアは答えた。
 ヒュドールはしばし考えた。要するに、リーフは自身の呪いを解くため、こうしてリトスに来たわけだ。イグネアに関してはどういうつもりなのか不明だが、事情を知らない周囲を考慮してとりあえず“ミールスの呪いを解くため”と言っているのだろう。
 そこでふと思いついた。
「もしかして、王宮を出る前にアンタがおかしかったのは、その指輪の呪いのせいか?」
「そうなんですよー。このミールスが【万能薬(エリキシル)】の効力を見事無効化してくれたみたいで。というか【万能薬】もなくなってしまったので、おかげでこうして普通に食事をするようになりましたし、怪我をしても治るまでに時間がかかるようになってしまいました。あ、風邪も引いたりしてちょっと困りますよねえ」
 などとイグネアは近所の奥様のような口ぶりで、まるで他人事のように呑気に言ったのだが。
「また面倒なものに呪われやがって」
 何でそう迂闊なんだ……とげんなりした視線を向けられ、イグネアは思わず洗っていた皿を取り落としそうになった。こういうやり取りは久しぶりである。
 半年ぶりの再会であるものの、ヒュドールの容赦のなさは相変わらずだ。正直もう二度と会わないのだろうなと思っていたから、こうして並んで(しかも洗い物をして)いるのが不思議で不思議でたまらない。
 真紅の瞳が恐る恐る見上げると、不機嫌そうな横顔が映った。中身はともかくとして、深窓の王子様さながらの儚く繊細な雰囲気は変わらずだが、少し痩せたような気もする。とはいえ、以前よりも若干たくまさが出たように見えるのは気のせいではないだろう。あの神経質で潔癖症だったヒュドールが、外の世界で半年も過ごしていたのだ。否応なしに変化を求められるのは当然だったはず。諸々の事情も含め、それらは完全に自分のせいであろうというのは気のせいでも何でもない。
 妙に気まずい空気が流れた。何か話さなければと妙な気を使ってみるものの、結局適当な言葉が見つからずにイグネアは黙っていた。
 ところが、困惑していたのはどうもイグネアだけではないらしい。ヒュドールの方も(珍しく)気まずさを感じたらしく、次の言葉を探して黙っていた。呪いとか鳥だとか、本当に聞きたいことはそこではないというのに。
 なぜ黙って出て行ったのか。なぜ一言も相談しなかったのか。俺(たち)はアンタにとって、別れも惜しくないようなどうでもいい存在だったのか。そして……なぜ大人しくリーフについて行ったのか。脅されたからなのか、それともイグネア自身の決断なのか――その他諸々聞きたいことは山ほどあるものの、素直でないヒュドールは何となく口にするのが嫌な気がして、どうしようかとほんのり考え込んでいた。
 だが、こうして悶々と考え込んでいても仕方がない。というか、はっきりさせないと精神衛生上よろしくない。そのうえ、この屋敷には邪魔者が多数存在しているのだから、こう二人きりになる時間は限られているはず。全部今のうちに明らかにしなければ気がすまない。
「なぜ……」
 黙って出て行ったのか、と問いかけるつもりで視線を向けたのだが。
「イグネア君」
「はい?」
 ものすごいナイスなタイミングで屋敷の主・オンブルが出現して柱の影から呼びかけたため、イグネアは半年続く雇われメイドの条件反射でそちらに気を取られてしまったのだ。
「知人が呼んでいるぞ」
 この状況で“知人”と呼ばれるのは、恐らくリヒトだろう。オンブルは用件だけ言ってさっさと行ってしまった。なんで屋敷の主である自分がこんな伝言板みたいなことをしなければならないのだ、とか何とかブツブツと文句を残していったが、イグネアはちっとも聞いちゃいない。
 とはいえ、イグネアにとって屋敷の主であるオンブルの用件は第一なわけで。
「私、ちょっと行ってきますね」
「ちょっと待て! 話は終わってないというか、これからが本題なんだぞ!」
「はいはい、あとで聞きますから」
 青碧の瞳がものすごい苛立った視線を向けて来たが見事あっさりと交わし、なんだろうかと小首を傾げつつイグネアは小走りに厨房を出て行った。


 パタパタと廊下を走っていると、途中の部屋から知人……もといリヒトが顔をのぞかせて手招きしていた。イグネアは忠実なメイドさながらに、何の危機感も抱かず駆け寄り、室内に足を踏み入れた。
「はいはい、なんですか? 足りないものでもありましたか?」
 のほほんと緊張感の欠片もなく問いかけた途端、背後で扉が閉まる音がしてイグネアは驚いて振り返った。と思ったらいきなり腕を掴まれ、大いに焦った。
「やっと二人きりになれたね」
 やっとというか、かなりの強行ではあるのだが。
 扉という逃げ道を塞いだリヒトは、麗しいながらも若干何か企んでいそうな笑みを浮かべていた。その証拠に、またしても瞳が笑っていない。
 イグネアはさっと青ざめた。なんというかヒュドールと違い、いつも温和だった彼だからこそ逆にちょっと怖いのだ。
「あ、あの、なにか先ほどから怒ってらっしゃいます……よね?」
 若干自信なさげに聞いてみると、どうやらちょっぴり癇に障ったらしく、リヒトはほんのりムッとしていた。この子は本気で聞いているのだろうかと。
「そうだね、怒ってるよ」
「はうっ」
 というか、どう見ても怒っているのは明らかではないか。聞かなければ良かったと、イグネアは内心で後悔していた。
「なんで俺が怒っているかわからない?」
「うっ……も、もしや黙って王宮を出たこと……でしょうか?」
 黄金の瞳が放つ異様な威圧感に怯みつつ、イグネアは歯切れ悪く答えた。
「わかっているなら話は早い。なぜなのか説明して欲しいな」
「そ、それは、その……」
「リーフは知っていても、俺達には知られたくない理由があるわけ?」
「あう、それは……」
「言っておくけど、君達が従姉弟同士っていうのは通用しないから」
「うっ……」
 一体いつばれたのだろうか。もしやヒュドールが話したのだろうか。従姉弟同士だという関係も面倒だが、使えなくなるとそれはそれで面倒だったりすると今さらながら気付いた。
 自分たちの秘密を暴露せずにこれまでの経緯を話して聞かせることは、イグネアには重労働だった。こんな時にリーフのように口達者に生まれていれば良かったなあと思う。
 とにかくどうしようかと困惑しまくっていた。「あー」とか「うー」とか奇妙なうめきを発しつつ、必死に言葉を探していた。そうこうして無言になること数分。すると、頭上から溜め息が降ってきた。おろおろと顔を上げると、リヒトは諦めたような、疲れたような表情を浮かべていた。
「……なにか話せない事情があるんだね」
 ここまで頑なに口をつぐむという事は、よほど知られたくない“何か”があるのだろうとリヒトは考えた。
「もしかして、この指輪の呪いも関係があったりする?」
 手を取ってきらりと光るミールスを見下ろしながら、リヒトが問いかけた。ほんのり寂しげな表情を浮かべていたが、そんな彼の心情にはちっとも気付きもせず、イグネアはちょっぴり喜んでいた。
「そ、そうなんですよ。なんというかその、呪いのせいで、少々複雑な状況に陥りまして……」
 リヒトはいつでもナイスなアイデアを与えてくれて大変ありがたい。多少強引な気もするが、とりあえず使わせてもらうことにした。とは思うものの、やはり嘘を吐くわけだからあまりいい気分ではないのは確かだったりする。言い難そうにイグネアが見上げると、リヒトは先程までのちょっと怒った素振りはどこへやら、今度は穏やかな笑顔を向けてきた。
「だったら、俺は呪いを解くために尽力するよ。真実が知りたいからね」
 にっこりと笑んだリヒトに、真紅の瞳がわずかに見開れた。自分の言葉を彼は本気にしたのか、それともあえて気付かないフリをしているのかわからない。けれど、どちらにしても嘘を吐いて欺いているという事実に、イグネアの心はちくりと痛んだ。リーフもヒュドールも自分の秘密を知っているが、彼だけは本当に何も知らずこうしてこの場にいるのだ。にも関わらず、リヒトは疑うことをせずに助けてくれるという。
 なんだろうか。とても嫌な気持ちになった。真実を話せないことを……そう、初めて歯痒いと思った。
「……あの」
「なに?」
「あの、もしも本当に呪いが解けたら、その時は全部お話します」
 自分が【紅蓮の魔女】である事実も、自分が犯した罪も、与えられた罰も、何もかも全て。“本当に”呪いが解けた時は、きちんと話そう。それでリヒトが自分をどう見るか、それは関係ない。話さなければいけないと、そう思えたのだ。
「じゃあ、今度こそ約束ね。二度目は破らないでよ」
「二度目……?」
 何のことやら、とイグネアは首を傾げたのだが。
「酷いな、忘れちゃったの? 王宮で約束したじゃない。“話がある”って」
 はて……と考えること数秒、イグネアは思い出してあっと声を上げ、さっと青ざめた。確かにそんな約束をしたし、果たせなかったことに(ほんのり)罪悪感を抱いていたではないか。そういえば、ついでにヒュドールとも何か約束していたが、よく思い出せないのでとりあえずいいだろう。
「わわ、わかりました。たしかに」
「その言葉、信じていい?」
 イグネアがうんうん頷くと、リヒトは上機嫌な笑顔を浮かべた。
「じゃあ、この話はとりあえずお終い。怒るのって自分も疲れるし、相手にも嫌な思いさせるだけだから得意じゃないんだよね。好きな子のことは色々知りたいと思うけど、追い詰めるのは趣味じゃないし」
 さらりと放たれた台詞の中に何か奇妙な言葉を聞いた気がして違和感を抱き、イグネアはきょとんとした。
「は? い、いまなんと?」
 ずれ落ちた眼鏡を押し上げつつ問うと、リヒトはにっこりと笑った。
「好きな子って言ったよ」
「す、隙?」
「いや、好き」
「誰が?」
「俺が」
「誰を?」
「君を」
「………………そ、それは“好きか嫌いかの真っ二つに分けたら”という意味でしょうか?」
 若干自信なさげにイグネアが問いかけると、リヒトは堪らずに噴出した。なんだか、そういう素直じゃない言い方をするのが誰だかわかってしまうのがあれなのだが。
 何かおかしなことを言っただろうか? 顔をそむけ、口を押さえて小刻みに震えつつ笑いを堪えるリヒトを、イグネアはおろおろしながら見ていた。
「ああ、ごめんね」
 気を取り直し、リヒトはイグネアに向き直った。
「とても大きな分け方をするとそうなるけど、俺が言っているのは違う意味だよ。むしろ“いとしい”かな」
「は? 糸しい?」
 なんだか、こういう鈍感すぎな所もすでにツボなのだが。腹の奥で沸き立つ笑いをとりあえず押さえ込み、リヒトはイグネアを見下ろした。
「違うよ。“愛しい”」
 主に女性相手に使用される極甘雰囲気を存分に浮かべつつ、黄金の瞳がじっと見つめる。
「半年も経てばどうでもよくなるかなって思ったけど、何が何でももう一度会わなきゃ気が済まなくなってた。そうしてやっと見つけたと思ったら、君は見知らぬ男の家に住んでるっていうし、しかも近所では“お嫁さん”なんて言われてるし、挙句働かされてるしで、正直面白くなかったね。俺の知らない半年間、何があったのかってとても気になったよ。これってまさに嫉妬だと思うんだ」
 ふっと、端正な顔が近づいた。
「嫉妬と独占は、恋の魔術の成せる業だよ」
 などと流暢に恥ずかしげもなく語ったリヒトは、恐ろしく艶美な笑顔を浮かべていた。それこそ一般的な乙女ならば、瞬時に昇天させられるほど。
「君が好きだよ。だから、明日から覚悟してね」
 はっきりと告げられた言葉に、イグネアは口を開けたまま凍りついていた。明日から何を覚悟するんだ……というかなんで明日からなんだという疑問はこの際どうでもよく、リヒトが言っている言葉の意味が理解できなかった。“好き”“愛しい”“恋”……かつて聞いたことも見たこともない未知なる世界の言葉の数々に、頭がついていかない。
「言葉を失うほど喜んでもらえるなんて、本当に嬉しいよ」
 などと、勘違い美形騎士はまたしても見事に盛大な勘違いを繰り広げていた。さらに勘違いだけに勢いは留まらず、キスしようとしてイグネアの顎にそっと手を添え、軽く腰を折って顔を近づけた。
 しかし、当然の事ながらそのまま上手く事が進むはずもなく。
「ぎゃーーーっ!!」
 素っ頓狂な悲鳴を上げて、イグネアは脱兎のごとく逃げ出したのだった。




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