× 第4章 【炎と烙印】 11 ×





 午前中の早い時刻であるためまだ少し肌寒いが、海沿いの町の空気はとても澄んでいて気持ちが良い。海から届く波の音と山から届く鳥のさえずりが、まったりのんびりとした町の雰囲気を創り上げている。
「ここは良い町だな」
 街並みと四方を囲む大自然を眺めながら、ヒュドールが呟いた。
「ええ、穏やかで静かですし、町民の方々は余所者の私たちにもよくしてくださいますよ」
 返答と共に向けられたしまりのない笑顔を、青碧の瞳がちらと見遣った。
 北から西にかけて山、東には海――この自然環境は田舎ならではであるが、スペリオルでは味わえない情緒がある。元は魔術師の聖地【プレシウ】であるものの、千年の後に溢れていた魔力は枯れ果てたと聞いたが、それでもスペリオルよりも強い力が身体の芯に眠る魔力をくすぐる。それは、魔術師ならではの感覚だろう。
 そのせいなのだろうか、幾分この小娘(とあのクソガキ)は、王宮に居た頃よりも生き生きして見える。単に田舎暮らしでのびのびしているだけとも考えられるが……やはり、二人にしてみればここは故郷も同然だからだろうか。
 もはやチョビヒゲの勅命などどうでもいいとして、連れ帰りたい気持ちは山々だが、慣れぬ王宮暮らしを強いるより、もしやこのままここに置いて行った方がコイツのためなのだろうかと、ほんのり複雑な気分に陥った。このあまりにも鈍臭い性格には、こういう田舎暮らしの方が合っているのかも知れない……などと真剣に考えること数秒、それよりもあのクソガキのそばに置いておくこと自体が不愉快極まりないと、ヒュドールは眉間にしわを寄せた。
 そんなヒュドールの思いはさて置き。
 今日は運良く“市”が開催されていた。といっても祭みたいに大袈裟なものではなく、通りに面する店が外に露店を出したりといった風に、至極ささやかなものである。
 “市”のせいか、町民たちも仕事やら買出しやらで動き出し、通りにはそこそこ人出があった。見知った顔同士言葉を交わし合い、通りには爽やかな笑顔と空気が溢れる。そんな、いつもと変わらない平凡すぎる日常だったはずなのだが。
 町民たちの視線は、揃ってある一点に釘付けになっていた。リトスは大した娯楽もない田舎町であるため、余所者であるイグネアたちの動向は常に町民たちの興味の的だ。その一挙一動が噂にさえなりかねない状況の中、今度こそ間違いなく町中が騒ぐであろう現場を目撃し、人々の視線は容赦なく“二人”を凝視していた。それこそ仕事をする手も止め、口々にささやく。あの美青年は何者なのかと。
 そんな視線には目もくれず(というか気付いちゃいない)、イグネアは運良く“市”が開催されている事実に大いに喜んでいた。
「あ、あそこの青物屋さんはけっこうオマケをしてくれるんですよ」
 などと妙に主婦じみた発言をしつつ、率先して露店に近づいてゆく。
 その後を、若干疲れた様子でヒュドールが追う。他人に興味がないため、普段は全て無視で通すのだが……先程から向けられている、この視線の痛さはどうにかならないものだろうか。
 思わず睨み返しそうになったが、ここは冷静に気付かぬ振りをしてやり過ごす事にした。こういう規模の町は噂が広まる速度が尋常ではないと、一歩手前の町で知ったからだ。
「おはようございます」
 イグネアが上機嫌で挨拶をすると、背を向けて作業をしていた店主は身を起こし、振り返ったのだが。
「おう、おはよう若奥さん!」
 余計な一言を言ったがために、ヒュドールの不興を買っていた。なんだその呼称は! 勝手に嫁にするな! と内心で愚痴りつつ、しかも何の弁解もしないイグネアに若干イラッとしていた。お前がそんなだから、周囲に誤解されるんだろうが。
 しかしそれだけに留まらず、店主はイグネアの隣に立つヒュドールを見つけて激しく視線を上下させ、よせばいいのにまたしても余計な事を言いやがった。
「おおおお? 今日はまたエライ男前な兄さんを連れてるんだな。新婚早々さっそく“コレ”か? 地味な顔してなかなかやるなあ!」
 親指を立てて揶揄するような笑みを浮かべた店主に、ヒュドールは遠慮もなく顔を引きつらせた。だいたい誰と誰が新婚なんだ。そしてその親指はなんだ。ぐつぐつと苛立ちが湧き上がってきたが、一応相手は一般人であるため今一歩というところで怒りを抑えていた。これが魔術師やら何やらであったら瞬殺間違いなしだ。
 一方のイグネアはというと、親指の意味は全く理解していないものの、ヒュドールの表情が明らかにイラッとしていたため、ほんのり慌てた。
「あ、あの……悪気はないと思うので、どうかここはひとつ穏便に」
 こっそり訴えると、返事の代わりに青碧の瞳がものすごい睨みを飛ばしてきて大いに怯んだ。だが一応の納得はしてくれたらしい。気を取り直し、イグネアは大きな青葉の束を指差した。
「え、えーと……その“ヘルバ”を二束ください」 
 “ヘルバ”は栄養価が高く、煮込んでも炒めてもそのまま食べても良しな万能野菜なので、リトスでは多用な食材として重宝されている。そのうえこの店で買えば安いし、特に野菜スープには欠かせないものだ。
 イグネアの注文を受け、店主のオヤジは気前のよい返事と共に二束手に取って袋につめようとしていたのだが。
「ちょっと待て」
 それまで値札とにらみ合っていたヒュドールが、オヤジを制止した。
「箱ごと買うから、少しまけろ」
 その発言に驚いたのはイグネアだった。箱ごとって……軽く十束くらいはあると思われるのだが。
「ええっ? こんなに大量に買ってもすぐに使いきれないですし、どうするんですか? それにオンブルさんからはしっかりお金を預かってますから、別にこれ以上お安くしてもらわなくても……」
 すると、ヒュドールが呆れ返った溜め息を吐いた。
「いくら糸目はつけないと本人が言っていてもだ。その金は曲がりなりにもアイツが商売をして稼いだものなんだから、大切に使うべきだろう。それに俺たちは居候だし、ただでさえ人数が多いんだ。節約できる所は節約していかなければならない」
 ものすごく説得力のある言い分に、イグネアは瞳を見開いていた。今まで考えたこともなかったが、なるほど言われてみればそうである。それにしても王宮の魔術師であるヒュドールが、こんな庶民的な考えを持っているとは意外すぎだ。
「ヘルバは多めの塩で茹でて冷凍しておけば、ひと月は保存しておける。何にでも合う食材だから、その後は解凍せずにそのまま料理に使える。塩味も利いているから、味付けも不要だしな」
 言った途端、周囲から「おお!」という歓喜の声と拍手が起こった。いつの間に集まっていたのか、けっこうな人だかりでイグネアは驚いた。中には、ヒュドールのお料理講座をしっかりメモに取っている人までいるではないか。
「兄さんは料理人か! 若いのに大したもんだ」
 などと言いつつ、オヤジは一人納得してうんうんと頷いていた。
「よーしいいだろう。きちんと食材を扱ってくれる相手なら、俺が大切に育てた青っ葉どもも喜ぶってもんよ。兄さんの言う通り、箱ごと買ってもらう代わりに少し安くしてやろう。運ぶの大変だろうからあとで届けてやるよ。町長さんの家だろ?」
「ああ、頼む」
 どうやらヒュドールはえらく気に入られてしまったらしい。豪快な笑いを振りまきつつ、店主のオヤジは上機嫌で準備をし始めた。が、ふと何か思い出したらしく、その手をぴたりと止めた。
「そういや、ニアにものすごい料理の鉄人が現れたって話を耳にしたんだが……まさか兄さんのことじゃないよなあ?」
「……い、いやたぶん違うと思う」
「そうかあ、まあそうだよな!」
 などとオヤジ店主は勝手に話を自己完結させていたが、一瞬思い出したくない過去が甦り、ヒュドールは若干動揺していた。

 さてイグネアはというと、その後もオヤジと会話を交わし、買い物を続けているヒュドールの姿を呑気に眺めていたのだが。ふいに腕を引かれ、何事かと振り返った。そこには数人の奥様方が集っており、そわそわした感じで何やら楽しそうな表情を浮かべている。
「ちょっとちょっと、イグネアちゃん!」
「あのとんでもなく綺麗なお兄ちゃんは誰なのっ?」
 ちらと盗み見てはきゃあきゃあと小さく騒ぎ、まるで若い娘のように奥様方ははしゃいでいた。
「ええと彼はですね、私と同じくオンブルさんのところの居候でして……」
 しかし聞いてきたにも関わらず、奥様方はイグネアの説明を強引に遮って勝手に話を盛り上げていた。
「町長さんというものがありながら。もう、イグネアちゃんてばなかなかやるじゃないのっ」
「仕方ないわよ奥さん。町長さんとイグネアちゃんじゃ年の差があるし、あんなに綺麗なお兄ちゃんがそばにいたら、そりゃ浮気のひとつもしたくなるってものよねえ」
「しかも同じ屋根の下に旦那様と愛人と同居なんて、いまだかつてない挑戦だわ!」
「リーフ君もいることだし、一人の女をめぐってどんな闘いが繰り広げられているのかしらね?!」
「それにしてもうらやましいわあ……若いっていいわね」
 などと激しくずれまくった話で盛り上がりつつ、またもや盗み見てはきゃあきゃあと騒いでいた。
 イグネアは誤解を解く気力も失って唖然としていた。そもそも基本の設定からして誤解だという事実に、一体いつになったら気付いてもらえるのだろうか。そしてだいぶ話が泥沼化しているように感じられるのは全く気のせいではない。しかし彼女達に一切の悪気はなく、単に噂話が大好きなのだと知っているため、強く言えないのがやっぱり痛い。
 そんなこんなで奥様方に捕まっていると。
「おい、行くぞ」
 呼ばれて振り返ると、すぐそばにヒュドールが立っていた。さすがは(リヒトいわく)ビジュ一を誇る美形コンビの片割れ、たとえ背景が野菜や果物であったとしても、その存在感は圧倒的で、すこぶる麗しい。
 それでいてまた間近で見たものだから、奥様方のはしゃぎっぷりも一際だ。娯楽の少ない田舎町に、まるで物語から飛び出た(見た目だけ)王子様のような繊細系美青年が現れれば、まあ仕方がないだろう。青碧の瞳がちらりと視線を向けただけで、もう鼻血でも噴きそうなほどの興奮振りである。これがうら若き女子であれば、間違いなく鼻血を噴いた挙句に何人かそのまま逝ってそうだ。
 しかしそこは小娘とは一味違った奥様方。興味の対象にはとことん果敢に挑んでゆき……
「お兄さんお名前は? おいくつ?」
「どちらからいらしたの? お仕事は?」
「イグネアちゃんとは、もう長いの?」
 予想通り、取り巻いて質問攻めにしていた。
 ヒュドールは相当うんざりしていたが、しかし相手は一般人であり、しかも年配揃いであり、一応イグネアが世話になっているだろう人々だと考え、仕方なく口を開いた。というか、最後の質問の意味がわからないのだが。
「ヒュドール=サファイオ、歳は十八、今は諸事情で町長の家に居候していますが、本職はスペリオル王国に仕える魔術師です」
 意外にもご丁寧に自己紹介をすると、奥様方はさらにきゃあきゃあとわめいた。
「まっ、王国って……もしかして王子様かしらっ?」
「やっぱり! 見た感じが只者ではなさそうだもの!」
「この綺麗な顔といい、長い足といい、これは間違いないわね!」
 “魔術師”が“王子様”になっている時点で、話もろくに伝わっちゃいないらしい事実がうかがえた。しかも、綺麗な顔はともかくとして、王子と長い足は全くもって無関係である。さらに付け加えるならば、王子様なんていう重要人物が、こんな辺ぴな田舎町の青物屋の前に立っているわけがない。
「もう、イグネアちゃんてば本当にやるわね! 玉の輿じゃない!」
「“愛人”にしておくなんて勿体ないから、いっそこっちのお兄ちゃんにしちゃいなさい、ね!」
 瞬間、ヒュドールの顔があからさまに引きつった。
「……愛人?」
「い、いやいやいや! そろそろ行きましょうか! それでは皆さま、ごきげんよう!」
 青碧の瞳に宿った怒りの炎を見て、これ以上はやばいと肌で感じたイグネアは、ヒュドールの腕を掴んで逃げるように走り出した。その様も奥様方の目には仲睦まじく見えたらしく、終始きゃあきゃあ騒いでいた。というか、愛人(ではないが)の存在を公認してしまうほど、この町の人々は寛大なのだろうか。
「頑張ってね、二人とも!」
「応援してるからね!」
 手を振って見送ってくれた奥様方に疲れた笑顔を向けつつ、イグネアはとにかく走り去った。

 長年の経験というものは、ここぞという時にやはり役立つらしい。その後も数々の店で見事な買い物上手の手腕を披露したヒュドールは、通常よりもお安く食材を購入してみせ、ベルンシュタイン邸のささやかな節約に一役買っていた。見た目の麗しさと料理に関して博識なあたりで何だかんだと各店主に気に入られたようで、購入した食材は全て屋敷に届けておいてくれるというからさらに有難い。申し訳ないと思いつつも、皆様の好意に甘える事にした。
 しかし最初の青物屋同様、必ずと言っていいほど二人の関係は誤解され、おまけにリーフおよびオンブルとの勘違いされた関係を聞かされ、買出しを終えて帰る頃にはヒュドールの機嫌は最悪になっていた。
「どういう理由であんな噂がされるのか、きっちり説明しろ!」
「うっ、も、申し訳ない……」
「そもそも、なぜ誤解を解こうとしない?!」
「い、いえ……それこそ最初は何度も説明をしたのですが、あまり聞いてもらえず……いまだ奥様方の中には私はオンブルさんの嫁だと思われているらしく……し、しかもリーフの嫁だと思ってる方もいらっしゃるらしく……その、ひとりひとり説明するのも無理でして……しかし皆さんには良くしてもらっていますし、あのその、噂好きなだけで決して悪気があるということではないため、どうも強く言えないのです……はい」
 ずれた眼鏡を正しつつ、俯き加減でイグネアは必死に弁解していたが、ヒュドールの苛立ちは治まりそうになかった。
「だいたい、なんであの変人が旦那でこの俺が愛人なんだ?!」
「い、いや、それは私に聞かれても……」
 どうやらそこが一番の怒りどころらしい。恐らくヒュドールの方が後から来たからという理由ではないのではなかろうか? と思っていても、逆鱗に触れそうなので口にしては言えない。
 なんだか話が今まで以上にややこしくなってしまった感は否めない。この分だと、間違いなくリヒトも誤解されていることだろう。全身で苛立ちを表現しつつ先行くヒュドールの背を見つめ、イグネアは盛大な溜め息を吐いてがっくりと項垂れた。




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