× 第4章 【炎と烙印】 12 ×





 買出しを終え、イグネアとヒュドールは屋敷に戻った。玄関の扉は出かけるたびに施錠して行くため、オンブルより預かっている特殊な“鍵”で解除する。この鍵、見た目は普通の代物だが、鍵穴と共に魔術が施されており、イグネアが預かっているこの一本だけが連動するようになっている。ちなみに内側からは普通につまみを捻るだけという、何の変哲もない仕様だ。
 さらに余談だが、在宅時でも鍵を閉めろとオンブルがうるさいので、外から(これまでは)リーフが戻ってくるたびにいちいち開けなければならないという、なんとも面倒なことになっている。モルに至っては、きちんと玄関から出入りしているのかさえ謎だったりするが。
 扉をくぐるとすぐ、積み重なった大荷物が目に留まった。中身を確かめてみれば、野菜やら肉やら、さきほど購入した食材たちだった。各店主たちはもう運んでくれたのか。なんて迅速な行動だろうか。脱帽ものだ。
 店主達の気遣いにいたく感心しつつ、大量の食材を厨房へと運ぶ。保存方法等はヒュドールの方が明らかに詳しいため、全て任せる事にした。彼自身も使用するからにはきちんと扱いたいようで、文句も言わずにせっせと働いている。さすが自他共に認める料理人、一連の動作は手馴れたものである。ちょっと手伝おうかな、なんて気持ちで手を出したら、邪魔をするなと怒られたほどである。どうやらまだ機嫌は悪いらしい。
 とりあえずこの場は任せても大丈夫そうなので、手持ち無沙汰となったイグネアは、他のことでもやっておくかーと厨房から一歩踏み出したのだが……柱の影からオンブルが恨めしげな顔で睨んでおり、うっとうめいた。
「よくもこの私に荷受させたな……」
 どうやら、届けられた食材を受け取ったのはオンブルらしい。自分とヒュドールは一緒だったし、リヒトとリーフは不在だ。在宅だったのはオンブルとモルだけだが……モルはいないのだろうか。
 などと呑気に考えていると、琥珀の瞳がさらに恨めし気に睨んできたではないか。
「そのうえ、一分三十五秒の遅れだ」
 何のことやらと考え込むことほんの数秒。
「はうっ……ただいまご用意いたしますっ」
 すっかり忘れていた! おやつのことだと思い出したイグネアは、大慌てで厨房へ引き返した。食材を片付けているヒュドールの脇をすり抜けて冷蔵の庫に頭を突っ込み、昨日残しておいたケーキを取り出した。次いで鍋で湯を沸かし、棚からカップと茶葉の缶を取り出してきて、慣れた手つきでお茶の用意をする。
 そんな中ふと視線を上げてみれば、青碧の瞳が不満そうに見下ろしていて、イグネアは思わず怯んだ。
「片付けは人にやらせておいて、自分はさっさと休憩か」
「ひっ、ちち、違います! これは私のではなく、オンブルさんのおやつです」
「は?」
「オンブルさんは、十時と三時に必ずおやつを食べるんです。時間に遅れると文句を言うし、しかも近所のミリアムさんちのケーキじゃないと食べないんですよ」
 説明を聞いたヒュドールはすこぶる渋い顔をした。なんだその子供みたいな我侭っぷりは。だいたい、いい大人がおやつなどと騒ぐなと言いたい。というか、そんなに食いたければ自分でやればいいだろうが! と内心で激しく毒づいていた。
 これではまさにこき使われる嫁ではないか。何でもかんでもやらせるな、全く気に入らん。そんな感じで一言文句を言ってやろうと厨房を出たが、オンブルの姿は柱の影から消えていた。
 そんなこんなで眉間にしわを寄せていると、お茶の入ったカップとケーキを乗せたトレイを手に、イグネアが廊下に出てきた。
「わざわざ運ばなくても、呼んでくればいいだろう」
「はあ……しかし、オンブルさんはほとんど地下から出てきませんからね」
 とはいえ、最近はなぜか頻繁に地上に出てくるようになったなと思い返す。しかも、かなり余計かつ邪魔なタイミングで。
「そうやって甘やかすから、どいつもこいつも付け上がるんだ」
「い、いえ特に甘やかした覚えもないですけど……」
 自分はこの屋敷でメイドとして雇われているのだから、オンブルの言う事を聞くのは当たり前ではないかと思うが……どういうわけか、ヒュドールはそれが気に入らないらしい。真紅の瞳がおろおろと見上げると、口答えをするなと言わんばかりに睨み返され、思わず怯んだ。
「と、とにかく置いてきますね!」
 これ以上会話していると今度は自身に飛び火しそうだと肌で感じ、イグネアは小走りでおやつを運んで行った。

 あまり頻繁に踏み入らないが、イグネアは地下廊下の雰囲気が割と好きだった。壁に備えてある【魔光燈】は花に似た形をしていて、夕陽のような色で塗られている。それが温かで優しい光を放っており、なんだか心が落ち着くのだ。オンブルはやや変人だが、彼のこういう趣味は結構気に入っていたりする。
 地下廊下をずんずん進むと、突き当りの部屋がオンブルの研究室だ。手前の扉はやれ実験室だとか書斎だとか、とにかく役に立つのか立たないのかよくわからない研究に関係する部屋がいくつもある。だいたい、プレシウの魔術師のことなど調べても面白くもなんともないと思うのだが。
「おやつ持って来ましたよ」
 扉をノックしながら声をかけると、ほんの少し間を置いてゆっくりと扉が開いた。そうして案の定、神経質そうな眼鏡が恨めし気に睨んできて……
「……さらに五分十七秒、合計で六分五十二秒の遅れだ」
 なんともねちねちした嫌味を言いやがった。
 しかしこんな小言でめげてなどいられない。というか、イグネアは大して気にしちゃいない。さっさとトレイを手渡し、満足そうな笑顔を浮かべた。
「あの、モルさんはいませんか? 眼鏡の調子が悪いので直してもらいたいのですが」
「モル君なら朝からいないぞ。夕食までには帰ると言っていたが……どこへ行ったのかまでは知らん」
 こっちも用があったのに、とオンブルはブツブツ文句を言っていた。
「夕食までに……ということは、お昼はいらないのでしょうか?」
「そんなことは知らん」
 と素っ気無く言葉を返し、オンブルは扉を閉めてしまった。
 普段どこで何をしているのか不明だが、食事だけは欠かさなかったモルがお昼を食べずに出かけるなんて珍しい。一体どこへ行ったのだろうか。というか、きちんとオンブルに言付けしていったのか。とはいえ、正式にはリーフと契約しているため、もしかしたら要らぬ用事を押し付けられたのかも知れないが……まあ夕食には帰ると言っているのだから、その時にでも直してもらえばいいやーと、イグネアは地上へ帰って行った。
 
 モルがいないということは、昼は三人分だな! と、得意の野菜スープを作るべく張り切って厨房に向かったイグネアだが、すでにヒュドールが準備に取り掛かっていたようで、せっせと働いていた。
 刃物を扱っているために何となく声をかけるのがためらわれ、イグネアはしばしの間、やっぱりいいお嫁さんになれそうだな、などと考えつつ柱の影から見守っていたが。
「ひいっ!」
 前触れもなくヒュドールが勢いよく振り返り、イグネアは素っ頓狂な声を上げた。
「そんなところからのぞき見るな! 気になって仕方ないだろう!」
「す、すみませんです……」
 料理をしながらもしっかり気配は感じ取っていたらしい。忘れてしまいそうだったが、彼は一国の魔術師なのだ。さすがだと思うと同時、うっかりすれば包丁が飛んでくるところだったかも知れないと、イグネアはほんのり青ざめた。
「あの、お手伝いしますか?」
「いい、あっちへ行っていろ」
 考える間もなく、ヒュドールが即答した。
 これはまた邪魔するなということなんだろうな……と、ずれ落ちた眼鏡を正しつつ、イグネアは苦笑したが。
「アンタは他にもやる事があるんだろう。朝以外のメシの支度は俺がやってやる」
 おや、とイグネアは首を傾げた。もしやこれは、盛大に気を使われているのだろうか。意外すぎな言葉に真紅の瞳が驚いて瞬くと、今度はヒュドールが困惑したらしく、ばつが悪そうに視線を泳がせていた。
「い、言っておくが、別にアンタのためじゃないぞ。やるからには徹底するのが俺の主義なんだ」
 そうだとしても、食事の支度がなくなるだけでずいぶん仕事も楽になる。
 いきなり現れた時は本気でどうしようかと思ったが、やはりヒュドールが来てくれて有難いと思えた。
「ありがとうございます」
 のほほんと笑顔を浮かべると、ヒュドールはなんでかふいっと顔をそむけてしまった。また怒らせたか? と思ったが、そういうわけではないらしい。
 まあ、ヒュドールの真意に、イグネアが気付くはずもないが。
「あ、でも、やはりお手伝いさせてもらえると嬉しいです」
 言った途端、青碧の瞳がぎろりと睨んできた。
「この俺がやってやると言っているんだから、その好意に甘んじればいいだろうが」
「うっ、い、いやその……リーフとオンブルさんが、暇なときに料理を習っておけと言うものですから」
 その名が出た途端、先程までの和やか(?)な雰囲気は吹っ飛び、ヒュドールは至極不愉快そうな顔をした。なんで奴らの言う通りにしようと思うんだ、この小娘は。そういう所が甘やかしているというのに、なんで気付かないんだ全く! などと内心で激しく毒づいていたが。
「だ、だめですか?」
 捨てられそうな子犬のように上目遣いで願われ、ヒュドールはうっと怯んだ。
 ちなみにヒュドールは、こういった小動物などが発する“切なげ視線”には子供の頃から滅法弱い。それは人一倍な責任感の強さも原因していると思われるが……
「わかったから、そういう瞳で俺を見るな!」
 それよりも、イグネア相手はむしろ“惚れた弱味”の方であると、本人は全く微塵も気付いちゃいない。


 ベルンシュタイン邸の食事の時間はきっちり決められている。ゆえに定時になると、呼んでもいないのにオンブルは姿を現すので、その辺はちょっと楽だったりする。
 いつもは食卓を見下ろしてげんなりしているオンブルだが、今日はほんのり輝かしい笑顔を浮かべていて、ちょっと……いやかなり気味悪かった。
「おお……! 待ち望んだ肉がっ」
 まるで初めてのケーキに心躍らせる子供さながらに瞳を輝かせ、今にも泣きそうなほど感激し、オンブルは席について早速食事に手を付け始めた。
「肉なんて半年振りだ。この香ばしささえもすでに懐かしい。いやしかし、シェフ並と豪語しておきながら不味かったら、即刻叩き出すところだった」
 などとブツブツ言っているが、オンブルは料理の味付けにも大変満足したらしい。
 ちなみに豪語していたのはヒュドール本人ではなく、リヒトである。
「君を雇って良かったと、今ようやく思えたぞ。今後も励んでくれたまえ」
 盛大な嫌味かつ上から目線な発言に、ヒュドールの苛立ちが募ったのは言うまでもなく。あからさまにムカッとしていた。
 そんな中、これはいかんとイグネアはひとりあたふたしていた。何だかんだ言ってオンブルも口が達者であるゆえ、二人の舌戦が始まったら止められそうにない。そう考え、無意味に音を立てて立ち上がった。
「おお、お茶を入れてきますね!」
 もうこうなったら逃げてやる。イグネアは小動物さながらの素早さで食卓を離れて行った。

 イグネアが場を離れたのを見計らい、とりあえず苛立ちを抑え、ヒュドールはオンブルに向き直った。
 この男は地下から滅多に出てこないというから、こうして二人きりになる時間も少ないだろう。余計な邪魔者がいない、この時間が最大のチャンスだ。
「ところで、アンタに聞きたいことがあるんだが」
「……それが質問をする態度かね?」
 しかし相手はやや変人、普通に聞いて素直に答えるような性格ではない。
 青碧と琥珀が、互いに苛立たしげな視線をぶつけ合った。その状態で沈黙すること、数秒。
「そうか、ならば夕食からはまたアイツにやってもらうか……」
 しれっとした顔で言ってのけると、どうやら効を奏したらしく、オンブルは視線を逸らして悔しそうにしていた。一方のヒュドールは余裕気な笑みを浮かべていたが、年下に一言で負かされるオンブルも情けないし、この程度で勝ち誇るヒュドールも大人気ないことには違いない。というか、よほどイグネアの料理が嫌と見える。
「で、何が聞きたいんだっ」
 背に腹は代えられない……と渋々納得し、オンブルは苛立たしげに言葉を放つ。
 ヒュドールは一息ついて言葉を繋げた。
「“二人”の呪い解く鍵はカディールの血にあるようだが、一体どのように利用するつもりなんだ?」
 ヒュドールの言葉に、オンブルはすっと表情を消した。いま、彼は“二人”と言った。たしか説明をした時には、イグネアのミールスの話しかしなかったはず。
「……君は、どこまで事情を知っているのだね?」
 神経質そうに眼鏡を押し上げつつ、オンブルが問いかけた。
「あのガキが【プレシウの魔術師】で、呪いのせいで身体の成長を止められているということも、猫被りだということも知っている」
 おそらく、オンブルよりも自分の方が事情を把握しているだろう。そう察したものの、この男は【プレシウの魔術師】の研究をしているのだ。イグネアのことを感付かれるのも困るため、余計な事は黙っている事にした。
「では、【万能薬(エリキシル)】については?」
「知っている」
「ならば話は早い。【万能薬】はカディールの血を魔術で精製したものだ」
 聞いた途端、ヒュドールはほんのり青ざめた。あの巨大な鳥の血から作られた薬だなんて知らなかった。不本意ながら飲まされたことがある身としては、結構嫌な感じだ。
 それはさて置き。
「じゃあ、カディールの血さえ手に入れば、アンタは【万能薬】を作れるんだな?」
「まあそうだが、【万能薬】の精製は難しい。しかも怪我や病気の治癒が本来の役目であって、解呪は対象外だ。だから通常の精製方法に加え、解呪の魔術も施す必要があるのだが……方法が未だに見つからない。というか、正直解けるのかさえ疑わしい」
 オンブルの言葉に、ヒュドールはすこぶる渋い顔をした。
「はあ? 今さらそんな事を言われても困るだろうが。アンタは【奇術師】の末裔なんだろう? だったら何とかしてみせろ」
「くっ……簡単に言うけれど、千年も生き続けている呪いがどれだけ強力なのか、君には理解出来るのか? リーフ君にしてもミールスにしても、一般的な解呪の魔術では対応できん。そもそも私は末裔であって、呪いをかけた【奇術師】ではない。古の魔術はあくまで研究対象であって、扱えるというわけではない。それでも巻き込まれる羽目になった私の身にもなってみろ!」
 だいたい、やらなきゃ一生脅されて暮らす羽目になってしまうではないか……などとブツブツ言いつつ、話しながらもしっかり食事を終えたオンブルは、そのまま地下へと潜ってしまった。

 ヒュドールは盛大な溜め息を吐いた。
 つまり、カディールの血を手入したとしても、必ず呪いが解けるとは限らないということだ。末裔であるオンブルでさえ手を焼くのだから、千年前の呪いとはよほど強力なのだろう。たしかに奴の言う通り、千年前と今では若干魔術の威力も異なるし、【奇術師】たちの術がどんなものだったのか不明確であるから、調査も難航するのだろう。
 それにイグネアは他にも多数呪いを抱えているのだ、全てが消える確率は低いかも知れない。そのうえ、万能の血を持つカディールは百羽に一羽――本当に存在するのかさえ疑わしい。
 ヒュドールはもう一度溜め息を吐いた。全く、本当に面倒な女に関わったものだ。
 とはいえ、ここまで来たからにはやるしかない。それだけの悪条件でも何とかしてやると思ってしまうのは、自分でも嫌になるほどの責任感の強さが原因だな……などとヒュドールは考えていたが、それこそまさに“惚れたなんたら”であると、本人はこれっぽっちも気付いちゃいない。





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