× 第4章 【炎と烙印】 17 ×





 一方、ベルンシュタイン邸では。
 臨戦態勢になっていたヒュドールとリーフであるが、各々若干大人気ないと気付いたらしく、数分の睨み合い(ついでに罵り合い)の結果、その場は何とか収まりがついた。そして各々、いつの間にかイグネアがいない事に気付き、(特にヒュドールが)ほんのり慌てたわけである。
 部屋に戻ったのだろうかとのぞいてみたが、いない。その他有り得そうな場所を探してみるものの、やはりいない。
 そういうわけで。
「貴様が余計な事をするから、アイツが何処かへ消えたんだ!」
「何を言うか。お主が大人しく(わし)に従っておれば、下らん言い争いなどしなかったものを!」
 互いにキツイ睨みを飛ばしながら、二人は廊下のド真ん中で口喧嘩を再開させていた。結局最後まで大人気ないのは確かである。
 地下室は探っていないが、滅多に踏み入らないので間違いなくいないだろう。ここまで探してもいないということは、外に出た可能性が高い。
「モル!」
 リーフが声高に名を呼ぶと、いつの間に現れたのか、呼びかけに応じたモルがのっそりと立っていた。背後を取られたヒュドールは若干驚き、思わず顔を引きつらせる。相変わらず気配がつかめない相手だ……などと考えつつ軽く睨むが、飄々とした横顔をかすめるだけで、モルは全く気にしちゃいない。
「イグネアを探して来い」
 リーフが命じるも、モルは静かに首を横に振った。
「……心配は無用」
「どういう意味だ?」
「……アルマースが一緒だ」
 モルは「イグネアをひとりで外に出すな」とリーフより命じられているため、彼女がふらりと外に出た際、当然こっそり後をつけていたのである。ミリアムの家の外でもやはりこっそり護衛していたわけだが、リヒトと会った辺りから護衛(または尾行とも言う)を中止した。理由は単純明快、“ひとり”ではなくなったからだ。
 とりあえずひとりではない事に安堵したものの、あいつと二人きりだなんて、それはそれである意味危険な気がする……などと考え、ヒュドールは渋い顔をしていた。やはり探しに出た方がいいだろうか。
 それにしても、この男は一体いつの間に外を探りに行っていたのだろうか。ますます怪しいというか、全くもって侮れない……などと考えつつ視線を逸らした一瞬のうちに、モルはすっかり消えていたのだが。
「そうか。まあ、カディールが夜間に出現した試しは無いし、あやつが共にいるならば構わんだろう」
 などとリーフは呑気なことを言っている。自身が探しに出る気持ちは微塵もないらしく、帰って来たら知らせろと一言、大欠伸をひとつさっさと背を向けた。
 こいつの余裕は一体どこから湧き出てくるのか。というか、何故にこの俺が貴様の伝言板をしなきゃならんのだ! とヒュドールは怒りを再燃させていたのだが。
 予期せずしてカディール襲来の警鐘が鳴り響き、ヒュドールもリーフもぴたりと動きを止めた。夜の静寂を引き裂くようなけたたましい音に、場は慌ただしさを増す。互いに確認する間もなく、揃って走り出していた。
「夜間に現れた試しはなかったんじゃないのか?!」
「知るか! 時には現れたくもなるのだろう!」
 よりにもよってイグネアが外にいる時にやって来るとは、なんと面倒な……などと考えつつ、舌打ちをしつつ、リーフは何処からか剣を持ち出して来て早々に背負った。
「良いか、本物かどうか見極めるまで決して止めは刺すな。本物は玉のような瞳に多大な魔力を宿しておる。慎重に闘え」
「わかった」
 玄関から飛び出し、二人は脇目も振らずに走った。







 夜間であったのが幸いし、町中に人の姿は見当たらない。そのおかげか、夜勤の自警団員が鳴らした警鐘は、魔術師二名を動員させる役目を果たしただけで済んだ。町民たちは屋内にいればひと安心だろう。
 しかし、そうもいかない人物がひとりだけ存在するわけで。
「ひえええ!」
 背後から追って来るカディールから、イグネアは必死に逃げていた。リヒトの魔手から逃れるべく先走ったのが仇となり、そのわずかな距離でひとりになったところを見事というか、まんまと狙われたのだ。
 半年リトスで過ごして、その間一度たりとも夜間に現れた試しがないというのに、なんでこういう時に限ってやって来るのだろうか。まったく迷惑極まりない……! などと考えつつ、とにかくリヒトの元へ戻ろうと全力疾走中だ。カディールの方もイグネアを狙う事に慣れてしまっているのか、風に揺れる長いおさげに食いつこうと、容赦なく首を伸ばしてくる。
 いかん、このままでは食われてしまう……焦った矢先、向こうからリヒトが走って来るのが見えた。
「イグネア!」
 名を呼ばれてさらに速度を上げれば、終いにはどうにも止まれなくなってしまい、勢いでリヒトの胸に飛び込んだ。一般的乙女心を持つ娘ならば「きゃあ」とか言って恥らう所だろうが、そんな余裕も暇もへったくれもない。とりあえず、リヒトは“魔除け”を持っているので、そばにいれば一定以上近づかれることはないだろう。いやもう本気で彼の存在が有難かった。
「絶対に、俺から離れないでね」
 背後にイグネアを庇いつつ、リヒトは腰に携えていた剣を抜き放った。黄金の瞳が七色の鳥をきつく睨み、脅しをかけるように剣を薙ぐ。
 魔除けの音を聞き取っているのか、カディールは踏み込まれるたびに後退し、一定の距離を保ちながら様子をうかがっていた。しかし翡翠の瞳はいつでも動けるようにと、じっと狙いを定めている。そうして少しの間、ゆったりと翼を羽ばたかせて滞空していたのだが。
 何か様子がおかしい……イグネアがそう感じた次瞬、七色の翼が一際大きく広げられた。
「危ない!」
 咄嗟にリヒトの腕を引いて退かせたのと、七色の羽根が飛んできたのは同時だった。寸でのところでかわせたが、二人が先程まで立っていた場所には無数の羽根が突き刺さっていた。
 カディールは、羽根の一枚一枚、さらに銀色の尾に敵を麻痺させる液を分泌する。あんなものを受けた日には、すぐさま地面にぐったりした挙句に食い殺されて終わりだ。
 しかし、一度かわしたからと言って安堵している暇などない。一定以上近づけないという事は、同じ攻撃が繰り返されるわけで。しかも、攻撃を仕掛けられないのだから、接近戦を得意とするリヒトにとっては不利である。先程の警鐘を聞いて、リーフかヒュドールがさっさと駆けつけて来ればよいが、待っている時間など当然なかった。
 再び大きく翼が広げられ、七色の羽根が飛んでくる。
 一歩前に踏み出したイグネアは、二本の指で宙に印を切った。

来たれ、炎の蝶よ(ライ・フラム・ファルファラ)!」

 真紅の瞳がギラリと妖しい光を放つ。
 灯火のような炎が現れたかと思うと、それらは瞬く間に蝶となって闇夜を彩った。炎の羽根を羽ばたかせた無数の蝶は、飛散する羽根や七色の翼、至る所に出現し、紅く輝く鱗粉を撒き散らして次々と燃やしていく。
 その様は、幻想的で美しく。
 けれど“滅ぼすため”の力だと知れば、獲物を焼き尽くそうと群がる蝶たちは恐ろしくも見えた。
 透明な声が悲鳴を上げた。鬱陶しい蝶たちを振り払おうとしてカディールは無茶苦茶に翼を羽ばたかせたが、それは逆効果となり、風を孕んで炎が一気に膨れ上がった。
 何とか危機は乗り越えたが、抑えた魔力で創り上げた炎の蝶には、カディールに止めをさせるほどの威力はない。とにかく翼を折らねば、何度でも向かってくるだろう。
 危険度は高いが、殺傷力の高い魔術を使うしかない――軽い眩暈を覚えながら、怒りに身を任せて突き進んでくるカディールを見据え、再び印を切ろうとした時。

来たれ、突き抜ける風よ(ライ・ウインドヴラーハ)!」

 突如として吹いてきた突風がカディールを襲う。貫くような強烈な風に翼を折られ、巨鳥は空中でバランスを崩した。

来たれ、氷の矢(ライ・ジェロ・ヴェロス)!」

 鋭利な氷の矢が容赦なく降り注ぐ。
 翼を折られ、傷めつけられた巨体が、真っ逆さまに地面に落ちた。
「リヒト! 奴は偽物だ!」
 本物でないのなら、ここで止めを刺すのみ。
 ヒュドールが声高に叫ぶと、リヒトは素早い動きで踏み込み、地面で身もがいている巨鳥の胸の辺りを一突きした。
 再び、悲鳴が響く。突き刺された箇所から力を持たぬ血が流れ出し、翡翠の瞳が徐々に色失せてゆく。止めを刺した青年の顔を恨めし気に睨むと、やがてカディールは力尽きた。

 イグネアは、足先から徐々に這い上がってくる寒気を感じていた。無意識に左腕を押さえ、襲い来る波に必死に抗う。足をすくわれたようによろめくと、そばにいたリヒトが慌てて手を伸ばして支えた。
「大丈夫か?!」
 俯いて青ざめているイグネアの顔をのぞきこみ、リヒトは血相を変えていた。それもそうだろう。先程まで元気に走っていたのに、今にも倒れそうなのだから。
「もしかして、怪我したの?」
「い、いえ……違います。さっき全速力で走ったせいか、少し気分が悪くなっただけです……」
 肩に添えられている手から逃れるように身を硬くし、イグネアは無理に笑顔を作って後退りした。こうして触れられていると、異様な体温上昇で異変に気付かれてしまう。事情を知っているリーフやヒュドールはともかく、リヒトの前で醜態をさらすわけにはいかない。
 だからと言って逃げ出すわけにもいかず、おろおろしていると。
「イグネア、具合悪いの? だったらヒュドール“さん”と一緒に先に帰っていなよ。ちょうど自警団のみんなも来たみたいだし、僕とお兄さんは少し話して行くからさ」
 ね? とリーフが猫被りの笑顔を向けると。
「急に活発に動いたから貧血でも起こしたんだろう。全く、偏食するからこうなるんだ」
 ヒュドールは本当の愚痴のようにブツブツ文句を言っていた。
 この二人は事情を知ってるためか、今だけ話を合わせているのだろう。ついさっきまで下らない喧嘩をしていたとは思えないような連携振りだ。ちなみに、普通に食事をするようになったにも関わらず、イグネアが偏食しているのは事実である。
 それでもリヒトは心配そうにしていたが、とりあえず大丈夫だと訴えると、ようやく納得してくれた。ヒュドールに気をつけてやるようにと一言伝え、リーフと共にやって来た自警団の面々の輪に向かって行った。

 衆目を集めるとまずいと考え、現場を少し離れた所までは何とか自力で歩いたが、もう限界だった。人目につかぬようにと物陰に身を潜めた途端、全身がぞくりと粟立ち、けれども烙印を捺された箇所だけが異様に熱い。
「おい……!」
 手を伸ばしかけて、ヒュドールはぴたりと止めた。
 地面にうずくまったと同時、イグネアの“左手”は炎に包まれていた。
「うっ……!」
 こうなったら、どうしようもない。一通り、罰を受けるまで耐えるしかない。声を上げまいとして、イグネアはじっと堪えていた。
 これは、古の大戦で全てを焼き払った“魔女”への罰だ。自業自得だと割り切れればいいものだが……燃え上がる炎をその瞳に映しながら、何度見ても嫌な光景だとヒュドールは眉をひそめた。

 しばらくして手を焼いていた炎が鎮火すると、イグネアは何度か呼吸を繰り返し、平静を取り戻した。過去に使用した炎狼の魔術の時は左腕を丸ごと焼かれたが、炎の蝶はあれよりも威力が低いため、手先だけで済んだのだ。
 今は【万能薬(エリキシル)】を飲んでいないから、完全に治癒するまでには数時間を要するだろうが、それでも火傷の痕が残らないのは、この身に受けた呪いのせいだ。まあ、そのおかげでリヒトを始め、他の者にも気付かれずに済むわけだが……今ほどこの呪いの効力を有難いと思ったことはなかった。
「立てそうか?」
 声をかけられて顔を上げると、ヒュドールが手を差し伸べていた。せっかくなのでその手を取り、よいしょと立ち上がろうとしてみたのだが。
「……こ、腰に、力が入らない……」
 何とも微妙な体勢を取りつつ、イグネアは情けない声を発した。
「またそういう展開か!」
「ひいっ、す、すみません……」
 若干怯みつつ謝ると、ヒュドールは軽く溜め息を零しつつ、仕方がないといった顔をしてその場に屈んだ。
「乗れ」
「うっ……ご、ご迷惑をおかけします」
 恐る恐る身を預けると、ヒュドールはさっさと背負って歩き出した。
 カディール襲撃のせいもあり、町中に人気は全くなかった。ゆえに、こうして背負われて歩いていても目撃者は皆無なので、明日の噂にはならなそうだ。
「魔術は使うな。リヒトに知られたらどうするんだ。ひとりで言い訳なんかできないだろう」
「うっ……そうですね、気をつけます」
 全くもって仰るとおりです、とイグネアは閉口した。さっきだって、ヒュドールとリーフが小芝居(?)をうってくれたからこそ、あの場を離れることができたのだ。
 とはいえ、目の前で誰かが危険にさらされていたら、多分魔術を使うだろう。特にそれが身近な者であれば、迷わず。
 それはさておき。
「普段は仲違いしているのに、ああいう時は息がぴったりですね」
 思い出したかのように、へらっと笑って言うと。
「……アンタのために決まってるだろ」
 要するに、イグネアを助けるために渋々あのクソガキの意向を汲んだだけと言いたいのだが、そんな短的な言葉で理解してもらえるはずもなく。
 そういえば以前にも似たような状況があったよな……などと、当のイグネアは全く別なことを考えており、しかも、そのうち疲れが出てきたのかうとうとし始めた。
 別に何か返事を期待したわけでもないのだが。あまりにも静かなことを不審に思い、ヒュドールはこっそりと様子をうかがった。予想通りというか、イグネアは他人の背中でぐっすりと眠っているではないか。
 まあ、あんな事があった後だから疲れているだろうし、この状況でよくも寝られるなと心底思うが。
「もう少し、意識をしろ」
 やはりそこが問題だ……と、ヒュドールは盛大な溜め息を吐いた。





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