× 第4章 【炎と烙印】 25 ×





 そんなこんなでひと悶着の後――
 夕刻に出ると言っていたのだが、早くに準備(弁当等)が整ったため、三人は昼過ぎに屋敷を発つことになった。
 近道を使えば暗くなる前に山に侵入できるだろうというリーフの言葉をきっかけに、ヒュドールとリヒトは真剣な表情で何やら作戦を練り始めた。普段は怒ったり軟派だったりする二人だが、こういう時に本物の騎士と魔術師なのだと実感させられる。
 リーフは毎度のカディール襲撃の際に見慣れているが、リヒトもまた普段自警団へ出かける時よりも武器の装備が多い。珍しく剣を二本装備しているリヒトに聞いてみると、「折れたら丸腰になっちゃうからね」と笑顔を向けられた。
 ちなみにヒュドールはというと。
「ずいぶん、軽装ですね」
 外套を羽織っただけの恰好を見てイグネアが言うと、ヒュドールはあからさまにムッとした。
「武器なんかいくらでも創り出せる。俺は身一つあれば十分なんだ」
「そ、そうですか」
 若干ムキになって言い返され、イグネアは思わず苦笑した。
「それはいいけどさ、お前は途中で倒れないでくれよ。さすがに背負って歩くのは嫌だから」
「だよねえ。ヒュドール“さん”って見るからに体力なさそうだもん」
 リヒトの言葉にリーフが便乗し、嫌味な発言がなされると、ヒュドールは思い切り頬を引きつらせた。青碧と深緑の間で見えない火花が散っていたが、リヒトが間に入ってどうにか収まっていた。まあ喧嘩する余裕があれば大丈夫だろう。
 そんな中、この期に及んでも納得のいかない顔をしている男がひとり。
「君は残りたまえ!」
 ここぞとばかりに屋敷の主風に言い放ったのは、食事面のことでヒュドール不在となるのが嫌なオンブルである。見送りするなんて珍しい……と誰もが思っていたが、結局それが言いたかったらしい。今夜だけなら辛うじて我慢できるが、最悪明日も一日、もしくは何か問題が起こればもっと長い間、“野菜スープ”の悪夢に耐えなければならないからだ。
「何で俺がアンタの食事のために残らなきゃならないんだ!」
「私の栄養摂取に問題が生じるからだ!」
「知るか! コイツの料理が嫌なら、自分でやれ!」
「それが出来たらメイドなど雇っているか!」
 と、オンブルは若干ずれているが妙に説得力のある発言をした。確かに彼の言う通り、自分で出来たらメイド要らずである。
「言っておくが、俺にとってはアンタの生死よりも呪いを解く方が重要だ」
「ほう、私が死ねば、イグネア君の呪いは解けないぞ?」
 ふふん、と上から目線で得意になっているオンブルに、ヒュドールは最高潮に苛立ちを募らせた。もうコイツの我儘には我慢ならないとばかり、何をする気なのか青碧の瞳をギロリと妖しく輝かせた。が。
「もう、先生は引っ込んでて! こんなことしてたら日が暮れちゃうよ!」
 と、脇からリーフが口を挟んだ。愛らしい口調ではあるが、額にはくっきりと怒りの証が浮かび、さらに位置関係で美形共に見えないのを言いことに、リーフは恐ろしい形相でオンブルを睨みつけていた。
 貴様の我儘で計画を邪魔するな……! という無言の圧力をかけられ、オンブルは青ざめて閉口したが、何でかその隣のイグネアも大いに怯んでいた。あれはきっと、二人きりだったら殺しているに違いない。
 まあ、これだけ壮絶な舌戦を繰り広げられるならば大丈夫だと思うが……
「あの、お気をつけて」
 恐る恐るイグネアが言うと、三人の視線が集中した。そのまま数秒間無言で見つめられ、イグネアはうっと怯んでいたが。
「ひいっ!」
 リヒトにがっちりと両手を握られ、奇妙な声を上げた。
「君のために頑張って来るよ。だから、無事帰ったあかつきには“お帰りなさいのキス”くらいして欲しいな」
「し、しませんから……」
 うっとりと見つめながらのこっ恥ずかしい発言に、イグネアどころか隣にいるオンブルさえも青ざめていた。そして背後のヒュドールとリーフは至極不愉快気な顔をしていた。
「もう、いかがわしい真似はしないでって言ったでしょ!」
 などと言いつつリーフが割って入って来たが、リヒト以上にいかがわしい真似をしようとしていたのは、何を隠そうこいつである。全く、猫被りもここまで来ると名人芸だ。
「とにかく、僕たちが戻るまで二人は大人しくしててよね!」
 だめ押しとばかりに言い放ち、リーフはリヒトの背を押して退け、さっさと扉まで追いやっていた。
 その様を一歩遅れて眺めつつヒュドールは溜め息を吐いていたが、ふとこちらに視線を向けた。その表情が物言いたげであったため、何だろうかとイグネアは小首を傾げたが。
「……行ってくる」
「は、はあ、いってらっしゃい」
 特に何も言わず、ヒュドールはすぐさま視線を逸らして背を向けてしまった。言いたい事があるならはっきり言えばいいのに、こういう時にまで全く素直ではない。

 さて騒がしい面々がいなくなると、途端に玄関には静寂が広がった。イグネアは心配そうな顔で、しばし扉を見つめていたが……
「はあ……」
 頭上から降って来た重苦しい溜め息に顔を上げてみれば、神経質そうに眼鏡を押し上げつつオンブルがじっとりと睨んでいた。
「これからしばらく、またあの悪夢のメニューか……」
 オンブルにとっては三人の安否よりも、むしろそちらの方が重要らしい。
 イグネアは思わず苦笑したが、すぐに表情は戻った。こうなったからには待つしかないのだが……それでもやはり何か落ち着かない気がしてならなかった。


 モヤモヤした気持ちは思いのほか後を引き、おやつ(午後の部)を買っている間もずっと続いていた。買い物中にも関わらず俯き加減で眉間にしわを寄せ、時折「うーん」と唸るイグネアの様子に、ミリアムの店に集っていた近所の奥様方は「何事か?」とひそひそ言葉を交わし合っていた。
「イグネアちゃんたら、さっきから溜め息ばかりね」
「男性陣と何か揉めたのかしら?」
「そりゃあれだけの面子ですもの、一緒に住んでいて何もないはずがないわよ」
「そうよねえ、町長さんはともかく、あのお兄ちゃん達とリーフ君はイイ男だもの」
「ついに一人を選ばなきゃならなくなったのかしら?」
「意外とそうかも知れないわね。イグネアちゃんのあんな深刻な顔、見たことないもの」
「一体誰を選ぶのかしら? ものすごく興味深いわ!」
 などと勝手に妄想を繰り広げて盛り上がっていた。
 その会話を耳に留めながら苦笑しつつ、ミリアムは用意したおやつの小箱をイグネアに手渡した。
「それにしても、本当にどうかしたの? 元気もないみたいだし」
 昨日お見舞いに来てくれた時は沈んだ様子も見られなかったのに、今日はいつになく暗いイグネアを見て、さすがのミリアムも心配になったらしい。
 はっと顔を上げると、そこには不安げなミリアムの顔があり、イグネアは慌てた。
「い、いえいえ、大丈夫です」
 と言いつつも、心に残るモヤモヤは今なおモヤモヤしている。
 あの三人に限って何かあるとは思わないが……それでもやはり、ここで大人しく待っているだけというのは(自分でもしつこいと思うが)性分に合わない。
 イグネアは考えた。自分が加わったからと言って彼らが有利になるとは思えないし、役立てないというのも理解している。が、仮にも私は【紅蓮の魔女】だ。いざとなれば、あの中の誰よりも、カディールに対して非常に有効な術を持っている。
 こんなにモヤモヤしているくらいなら、もういっそ――
「ミリアムさん!」
「は、はいっ?」
 突然勢い良く顔を上げ、なおかつ身を乗り出してきたイグネアに、ミリアムは大変驚いていた。
「お願いがあります!」
 あまりにも気迫のこもった唐突な申し出に、ミリアムは思わず頷いてしまうのだった。


「オンブルさんっ!!」
 けたたましい音と共に地下の巣……もとい研究室の扉が開かれ、室内で作業をしていたオンブルは大いに慌て、手にしていた硝子瓶を取り落としそうになっていた。
「何だいきなり!」
 神経質そうに眼鏡を押し上げつつ、「勝手に入るな!」と琥珀の瞳がぎろりと睨むも、イグネアは怯まず突き進み、手にしていたおやつのトレイをずいっと差し出しつつ、キッと見上げた。
「私もこれから北の山へ行ってきます。つきましては、有用な魔術小物を貸していただきたいのです!」
 いつもはのほほんとしている真紅の瞳が、いつになく真剣な様子で見上げて来て、オンブルは柄にもなく怯んでいた。
「行くって……君は魔除けを持っていないではないか。危ないぞ」
「だから、おかしな魔術小物を貸して下さいと言っているのです」
「お、おかしなとは失敬だな! 大体、君まで行ってしまったら私の夕飯はどうなる?!」
「野菜スープの作り置きがありますし、夕刻にミリアムさんが何か持って来て下さるのでご安心を」
「そこまで手回し済みかっ?!」
 普段は愚鈍なくせに、なぜこういう時に限って機転が利くのかこの娘は……とオンブルは忌々しげにイグネアを見下ろしていた。
「お願いしますっ」
 あまりにも深刻な様子で願われたため、さすがのオンブルもほんのり困惑していた。
「しかし……君は本気で言っているのか? 北の山にはカディールがウヨウヨいるんだぞ。役に立ちそうもない君がわざわざ行って面倒をかけなくとも、彼らに任せておけばいいではないか」
「もう決めたのです」
 大いに嫌味な発言にもイグネアは引きそうにない。オンブルはしばし考えていたが、やがては折れた。溜め息をひとつ、背を向けて棚に向かい、鍵のかかった引出しを開けて中から何やら取り出して来た。
 オンブルが手にしていたのは蓋のない浅い箱で、中には青と緑の色をした透明で小さな玉が数個転がっていた。
「これは?」
「緑色が風、青色が水、それぞれリーフ君とヒュドール君の魔術を封じ込めたものだ。これに強い衝撃を与える……要するに、敵に向かって投げつけるなりすれば、魔術師でなくとも相応の魔術を発することが出来るというわけだ」
 青色の玉を摘み上げ、イグネアはまじまじと眺めていた。近頃ヒュドールが頻繁に呼ばれていたのは、どうやらこれを作り出すためだったらしい。こんな小さなものに魔術が込められているとは何とも不思議だが、対象となった二人の魔術師としての力量を考えれば、なるほど大変便利で有用である。さすがは腐っても【奇術師】の末裔、おかしな小物作りに関しては天才的だ。
「こんなもの作ってたんですね」
「これがあれば、彼らがいなくとも町民たちだけでも闘えるだろう」
 オンブルがさらりと零した言葉に、イグネアは思わず瞬いた。普段は無関心を貫いているが、意外にもこの人は町の事を考えているらしい。案外、町長としての器が備わっているのかもなあ、と少し見直した。
「これひとつで、どれほどの効果があるんですか?」
「試作段階で使った事がないのだから、わかるわけがないだろう」
 ごもっともな意見と共に冷やかな視線を頂戴し、イグネアはうっと怯んだ。


 オンブルより“魔術玉”(イグネア命名)をもらったイグネアは、身支度を整え(と言っても外套を羽織ったのみ)、山へ向かうべく外に出た。魔術玉の他にも魔除けの護符を数枚もらったので、これで何とか危機は乗り越えられるだろうと、その表情は妙な自信に満ちていた。
「せめて、足手まといにならないようにしなければ」
 改めて気を引き締め、さあ行くぞ! と一歩踏み出したが。
 そこでひとつ思い出す。自分は、山への近道の場所を知らないではないか!
 イグネアはさっと青ざめた。ここまで準備して今さら引き返す事は不可能である。かと言って、普通の道で山へ行ったら、それこそどんなに時間がかかることか。彼らに追い付くどころか、むしろ遭難しそうである。
「ど、どうしよう……」
 などとブツブツ言いながら、玄関先でおろおろしていると。
「ひえっ!」
 ポンと肩に手を置かれ、イグネアは悲鳴を上げた。血相を変えて振り返ると、いつの間に現れたのか背後にモルが立っていた。
「ひとりで外に出てはいけない」
 と、モルはいつものごとくお約束的な台詞を呟いた。
 いきなりな登場にイグネアは一瞬硬直していたが、はっと我に返る。これは大いなる幸運ではないか。自身が探していたのだから、モルは近道の場所を知っている。しかも彼は魔除けを持っているので、傍にいれば偽物は近寄って来ない。一緒に来てくれればとても有難いが……如何せん彼はリーフと契約しているので、たぶん自分を屋敷から出すなと命じられているはず。けれど、この機会は逃すには非常に勿体ない。
「あ、あのっ」
 ええい、ダメ元で行け! とイグネアはモルを見上げた。
「その、私は北の山へ行きたいのですが……一緒に来てもらえませんでしょうか?」
 すると、奇妙な造形の色眼鏡がじっと見下ろして来た。
 これは無言の拒否なのだろうか……とイグネアはおろおろしていたが。
「……いいよ」
 意外にもあっさり了解され、拍子抜けした。
「あ、あの、自分で願っておいて何ですが、本当にいいんですか?」
 眼鏡を押し上げつつ若干自信なさげに問うと、モルは確かに頷いた。
 意外な展開に少々調子が狂ったものの、まあいいと言うのだからいいだろう……と持前のお気楽ぶりを発揮し、イグネアはモルと共に北の山へと向かうのだった。





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