× 第4章 【炎と烙印】 27 ×





 北の山に存在するカディールの巣、その数はおおよそで十前後と推測される(オンブル談)。カディールは仲間意識の強い種で、いくつかの“つがい”が群を成して巣を形成する。その“つがい”の数により、巣の規模が変わるというわけだ。
 モルと共に三人を追っているイグネアは、鼻歌なんぞ歌いながら若干呑気に先を目指していた。かつて何度も指摘されたように全く警戒心がないわけだが、こういう時こそ気を付けるべきではないかと思われる。
 それを承知しているのか……というか恐らく単にいつもの習慣なのだろうが、モルはつかず離れずの距離でイグネアの後を追っていた。さすがというか何というか、一定の距離を少しも違えないというのは見事な業である。
 そんな山登り気分でいたイグネアは、思い切り油断していたせいで“それ”が本当に目前に迫るまで気付かず、唐突に視界に飛び込んできた巨大なモノを見て案の定頓狂な悲鳴を上げたのだ。
「ぎゃあっ!」
 俊敏な身のこなしでさっとモルの背後に隠れ、そしてさらにその背をぐいぐいと押す。全くある意味都合のいい女である。
 押されている事などこれっぽっちも気に留めず、モルの色眼鏡は“それ”をじっと見下ろしていた(と思われる)。そうしてしばし観察し、動かないと確認できると、今度は屈み込んで様子を探っていた。
「……もう死んでいる」
 ぐったりと地面に伏したカディールはすでに絶命していた。「もう起こさないでくれ」と言わんばかりのぐったり感に、思わず同情したほどだ。間違いなくあの三人の仕業である。
 モルいわく、やられてからそう時間は経っていないそうだ。つまり、三人はまだ近くにいる可能性が高い。そしてここで闘ったということは、カディールの巣が近いという意味にもつながる。このカディールは偽物だが、この状況で本物に出くわしたらちょっと、いやかなり危険である。果たしてモルがどの程度の戦闘力を持っているかは知らないが、あの厄介な敵をたった二人(しかも自分は魔術使用不可)で相手するのは、はっきり言って無謀以外の何物でもない。
 ここは早いところ三人を見つけなければ……そう思った矢先。カディールの鳴き声が響き渡り、イグネアとモルは顔を見合わせた。そうしている間にもう一度、今度は複数の声が聞こえてくる。距離はそう離れていないだろう。
「行ってみましょう」
 イグネアの言葉に、モルは無言で頷いた。








 ヒュドール、リヒト、リーフの三人は、恐らく二対の“つがい”と思わしき四羽のカディールに囲まれていた。カディール達は瞳の色を変え、巣を荒らそうとする侵入者に容赦なく襲いかかってくる。
 せいぜい二羽くらいであれば余裕で相手に出来るが、それが倍ともなると少々条件が異なって来る。囲まれて一斉に羽根を飛ばされれば、挙句揃って食い殺されてあの世逝きだろう。三人とも同じ考えを抱き、とにかく包囲されるのだけは避けなければ、と散り散りになった。

来たれ、風の刃よ(ライ・バラム・ツァンナ)!」

 リーフの叫びと共に強烈な“かまいたち”が生じ、狙いを定めたカディールの身体を切り刻む。
 通常であれば次にはヒュドールの魔術が続くが、別の一羽を相手にしているので期待はできない。ならばと剣を抜き放ち、身軽に木々を飛び移って徐々に距離を詰め、今一度魔術を用いて地面に叩き落してから止めを刺そうと考えた。が、その前に別の一羽が七色の翼を大きく広げ、リーフに向かって羽根を飛ばして来た。

来たれ、氷の盾(ライ・ダス・アスピス)!」

 声が響いたと同時、リーフの前に氷の盾が出現し、飛散する羽根を防いだ。深緑の瞳がちらと見遣ると、ヒュドールは闘いながらご丁寧に援護してくれているらしい。おまけに自身とリヒトの前にも盾は創られていた。何だかんだと口うるさく、また傲慢冷徹極まりない小僧だが、こういう時には役立つと思わざるを得ない。
 深緑の瞳が再びカディールへと移る。二羽のカディールはくるくると踊るように宙を舞っている。恐らく“つがい”なのだろう、互いに気遣い合いつつも、傷つけられた事に怒りを燃やしているように見えた。
 何だかそれが無性に腹立たしく思え、リーフは眉間にしわを寄せた。
「仲良くあの世に送ってやる!」
 深緑の瞳がギラリと妖しい輝きを放ち、印を切ろうとリーフは二本の指を振りかざした。
 その時。
「ヒュドール!」
 リヒトの声にはっとして振り返ると、片腕を押さえて地面に膝を付くヒュドールの姿が視界に飛び込んで来る。先程の羽根攻撃が流れたのか。あちこちに気を配っていたために防ぎ切れなかったのだろう。
 カディールの羽根には麻痺させる液が分泌されている。直接攻撃を受ければしばし動けなくなる。ヒュドールは辛うじて倒れるのだけは堪えていたが、全身を這うようにして伝う麻痺感に表情を歪めていた。
 近場にいたリヒトがすぐさま駆け寄り、ヒュドールを護るように立ちはだかる。が、正直言ってヒュドールの魔術の援護がないと四羽相手は相当きつい。黄金の瞳が目前と、そしてリーフの状況を即座に確認する。どう考えても、一人で二羽は不利だ。
 だからと言って闘いを諦めれば、三人揃ってここで死ぬだけ。また逃げようにもヒュドールを背負っていかなければならないため、どうせ追い付かれて結果は同じ。ならば、と最後まで諦めず、リヒトは剣を振るい、かつ魔除けで脅し、カディールを一定以上近づかせぬよう努めた。今は倒す事よりも、ヒュドールを護る方が先決だ。
 しかしカディール達にとってはこの状況は好都合である。四羽は集結し、くるくると円を描くように宙を舞い、取り囲むように形どって徐々に近づいてくる。最も避けたい状況が迫っているのは明白だった。
「くっ!」
 こうなったら危険度は非常に高いが、一気に突っ込んで確実に息の根を止めるしかない――同時に考え、リヒトとリーフが動きを見せた時だ。
 ヒュン! と何かが飛んで来た。かと思えば、明後日の方向で突如竜巻が生じ、あっちの方で木がなぎ倒されていた。当然、カディール達には傷一つ負わせられないどころか、その無謀かつ当てずっぽうな攻撃に、珍しくリヒトはイラッとしたらしい。黄金の瞳がキツイ睨みを飛ばした。
「この非常時に外さないでくれよ!」
「ちょっと待ってよ、僕じゃないから今の!」
「君以外に誰がいるっていうんだ!」
「そんな事言ったって、知らないよ!」
「じゃあ一体誰が……」
 呟いて、背後を振り返ろうとした時。
 今度は立て続けに何かが飛んで来た。まるで隼のごとき勢いで飛んで来た“それ”は、鳴き声を上げるカディール達の嘴に吸い込まれるようにして飛び込んだ。そして次の瞬間、カディール達に異変が起きた。内から魔術を食らったように、青白く輝く氷の先端が巨体を貫いたのだ。
「…………?!」
 深緑と黄金の瞳が思い切り見開かれ、同時にヒュドールに集結する。しかし、ヒュドールは相変わらず無言のまま地面に膝をついて項垂れているだけ。
 そうしている間に、身体を突き破られたカディール達は洩れなく地面に落ち、しばし痙攣した後に仲良くあの世へ旅立った。
 突然の事にわけがわからずも、リヒトとリーフがゆっくりと背後を振り返る。そこには……無表情で青い“魔術玉”を弄ぶモルと、そんな彼を驚愕の表情で見上げるイグネアの姿があった。
「も、ものすごい命中率ですね……」
 ちなみに最初に緑の“魔術玉”を外したのは、案の定というかやはりというかイグネアである。




 いつの間にやらすっかり辺りは薄暗くなり、小一時間もすれば夜がやって来るだろう。完全な闇に覆われる前に合流出来て良かった! などというイグネアの呑気な安堵感とは裏腹に、例の三人はすこぶる険しい表情を見せたのだ。
「何故連れて来た!」
 深緑の瞳が、飄々としている色眼鏡を睨み付ける。少し離れた場所で二人きりなため、遠慮なくプレシウ訛りだ。
「……一人で外を歩かせるなと」
「外をうろつかせるな、とも言っておいたであろう!」
「……山へ連れてくるな、とは言われていない」
 平然と無表情で返したモルに、リーフは思い切り頬を引きつらせた。確かにそんな具体的な事まで命じていなかったのは自分の不手際だが、だったら何のために念を押して“一人にするな”“安易に外をうろつかせるな”と言っておいたのか。というか、何だその屁理屈ぶりは! 全くこれだからモグラは……! とリーフは額に手を添え、終いには盛大な溜め息を零した。
「こうなったからには連れて行くしかないが……お主はイグネアの傍から離れるなよ」
「了解」
 素直に頷いたモルを見上げ、こいつは有能なのか無能なのか良くわからん……とリーフは再び溜め息を吐いた。

 一方、イグネアはというと。
 腕組みして仁王立ちするヒュドールと、腰に両手を添えてこれまた仁王立ちするリヒトに見下ろされ、非常に身を縮こまらせていた。どちらも見るからに怒っている。ちなみにヒュドールの怪我は大した傷ではなく、麻痺もすっかり治まったらしいが、そのせいもあるのか苛立ちはすでに最高潮の様子。
 真紅の瞳がおろおろと見上げると、すぐさま二方向から厳しい眼光を頂戴し、さっと視線を逸らした。なんだかもうこの美形達は果てしなく怒っているらしい。
「……なぜ俺達が置いて来たのか、微塵も理解していないようだな」
「そうだね。この鈍感ぶりは、さすがの俺も笑いを超えてむしろささやかな怒りさえ感じてしまうよ」
「ひいっ!」
 温厚なリヒトからもきついお言葉を頂戴し、イグネアは悲鳴を上げて数歩退いた。
「うっ……その、お二人のお気遣いは十分すぎるほど理解しておりますが、そのですね、私にも一応考えというものがありましてですね……」
「そうか、ならばその“考え”とやらを聞いてやるから言ってみろ」
 額に怒りの証を浮かべたヒュドールが言えば、イグネアはうっと唸る。しかしここで怯んでいては話は終わらない。しかも若干お腹が空いて来たので、出来ればてっとり早く終わらせたいのだ。
「……私が“呪われて”いるのは、全て私の不始末が原因です。それなのに自分だけ安全な場所で待つというのは、それこそ私にとっては苦痛以外の何物でもありません。もしその間にあなた方の誰かが傷付き、万一にでも命を落とすようなことがあれば、私はきっと一生後悔するでしょう。きっと“生きている”意味さえも見失ってしまうかも知れない」
 真実を知っているヒュドールならば、この言葉の真の意味を理解するだろう。
 ミールスの呪いだけでなく、過去に負った全ての呪いは、自分への罰であり、罪の証。それを解くために皆が闘っているのに、自分だけ安穏としているなんて我慢ならない。もしもそれで誰かが死んだら、どうやって償ってよいのかもわからない。魔術だけでなく、死さえも満足に扱えぬこの身体を呪うだろう。
「ですから、自分に出来る事があればやりたいと思ったのです。ほらほら、これ見てくださいよ。オンブルさんからもらったんですけどね、この“魔術玉”にはリーフとヒュドールの魔術が込められていて、敵に当てると魔術が発生するんですって。さっきのは全部モルさんが投げたんですけど、すごい命中率ですよねえ」
 と、緊張感もぶち壊して話が脱線した事に自ら気付き、イグネアははっとした。今はモルを褒め称えている場合ではない。この美形共のお怒りを鎮めなければならない時だった! と青ざめた。真紅の瞳がおろおろと見上げると、二方向から同時に溜め息が聞こえた。
「うっ……あの、魔除けの護符ももらってきましたし、せめて自分の身は護るように心がけますので……というか、この暗闇の中帰れと言われても、むしろ困るというか何というか……」
 語尾はだんだんと小声になり、ついには気まずい沈黙が場を支配した。この後にどんな怒りをぶつけられるのか……少々恐怖を感じつつ、イグネアはじっと耐えていたが。
「まあ、こうなったからには一緒に行くしかないけど」
「……そうだな」
 仕方ない、というような諦め顔を返され、イグネアの気は若干緩んだ。なんだ、そんなに怒っていないではないかと油断したのも束の間で、やっぱり厳しいお言葉を頂戴するのだった。
「一言だけ言わせてもらうと、君はやっぱり俺達の気持ちは少しも理解していないよ」
 え? と思って顔を上げると、リヒトは少し残念そうな、それでいてちょっと怒っているような表情を浮かべていた。隣のヒュドールは視線を逸らしているが、どうやら同意見と思われる風だ。
 イグネアの“考え”のように、自分達にも同じ思いがある。彼女が自分の不始末で招いた結果だろうが、それさえも受け入れて助けてやりたい、護ってあげたいと思うのにまるで通じていない。むしろ迷惑をかけているとでも思っているのだろうが、そんな気持ちは初めから抱いていない。それが少しだけ腹立たしかった。
「でもわざわざ説明してあげないよ。どうしても知りたいなら、自分で気付く努力をして」
 リヒトは決して意地悪を言っているのではない。自分もヒュドールも本気だ。本気で想っているからこそ、イグネアには自分で気付いて欲しいのだ。そうしなければ多分、この関係はいつまで経っても変わる事はない。自分が選ばれればそれは幸せなことだが、このままではヒュドールだってあまりにも不憫だと思ったのだ。
 リヒトの言葉の意味は、やはり六割がた理解出来ていないところだが、どうしてかその言葉は重く心に突き刺さり、イグネアは俯いた。リヒトは自分のためを思ってわざと厳しい事を言っているとわかっている。問題はそこではなく、指摘されても理解できない自分自身だった。彼らよりも長く生きているくせに不甲斐ないと思った。
「……私はやはり、余計なことをしているのでしょうか」
 すると、重い溜め息の後にヒュドールが口を開いた。
「余計かと問われれば、そうだと答えざるを得ないが、アンタなりに俺達を気遣ってくれたことは有難く思う。むしろこの状況下で今さら帰れとは言えないし、どうせ皆で護ってやるんだ、好きにやればいいだろう」
 前半部は若干どころか大いにキツイが、後半部はどうも許されているように聞こえた。相変わらず上から目線だが、ヒュドールにしてはえらく優しめな(?)発言だったため、イグネアは思わずまじまじと眺めてしまった。珍しい事もあるものだ。
「まあ男が四人もいて、女の子一人護れないなんて恥ずかしい話はないからね」
 今度はリヒトの顔を見上げてみる。先程までの厳しさは何処へやら、いつもの柔らかな笑みが浮かんでいた。
「それに愛しの姫の護衛は騎士の務めだから、それこそ俺が付きっきりで護衛してあげるから安心して」
 そして最後には俺を選んでね、と耳元で小さく囁いた後に止めのウインクを飛ばされ、かついつの間にかしっかりがっちり手を握られ、イグネアはひいっ! と悲鳴を上げながら大いに慌てふためいた。案の定不愉快そうなヒュドールが割って入って助けてくれたから良いものの……厳しい事を言ったかと思えばこうして軟派な態度を取る辺り、全くどこまで本気なのか相変わらずわからない男である――と思っているイグネアは、やはりリヒトが言うように何も理解しちゃいないらしい。





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