× 第4章 【炎と烙印】 33 ×





 町中に広がっていた炎を味方につけ、紅く、激しく燃えていた龍は、あらゆるものを呑み込み、焼き尽くした。そうして存分に暴れて気が済んだ頃、天に向かって一度だけ高らかに吼え、やがては姿を消した。
 龍が現れた界隈には何も残っていなかった。軒並み建っていた家も、木も、町の三分の一に相当する場所は全て跡形もなく消え失せていた。
 町にとっては多大な被害であるが、リーフが風を操って炎の拡大範囲を狭めたおかげで、その程度で済んだのだ。もしも彼の力がなかったならば、炎の龍はリトスの全てを焼き払っていたに違いない。
 そして被害が最小限に抑えられた最大の理由は――【紅蓮の魔女】が、“殺すため”ではなく、“救うため”に力を振るったことだろう。奪うべき力と護るべき力、その差はあまりにも大きかった。

 咄嗟の判断で現場から離れていたヒュドールとリヒト、そしてオンブルは、言葉もなくその場にたたずんでいた。今しがたその瞳に映っていた炎の龍の、あまりの凶暴さに絶句していた。
 あれが炎の魔術。“破壊”なのだ。
 物が焼け焦げる臭いと灰煙、そして薄汚れた空気が蔓延する中、ふいに人影が揺らめいた。その影が徐々に鮮明になって来ると、ヒュドールとリヒトがはっとする。姿を現したのは、イグネアを抱えたリーフだった。
「イグネア!!」
 同時に声を上げて、二人は急ぎ足で駆け寄った。
 リーフの腕の中でイグネアは力尽きてぐったりとしていた。衣服や髪は部分的に焼け焦げ、顔は煤で汚れていた。顔面までは至らないものの、左の頬から首には火傷をしていた。袖が破れてしまったせいで左は肩までさらされており、その腕もまた酷い火傷を負っていた。
 まさか、と青ざめる二人に、リーフが静かに告げた。
「……案ずるな。息はある」
 リーフの言葉に、とりあえず胸を撫で下ろす。彼がプレシウ訛りで話している事実にも気付かずに。
「屋敷に連れ帰ってやれ。わしはカディールの血を採取して来る」
 疲れ切った声色で言って、リーフは抱えていたイグネアをヒュドールに託し、羽織っていた外套を脱いでかけた。そして傍らにいたオンブルを連れて再び靄の中へと戻って行った。
 そこでようやく、リヒトはリーフの異変に気が付く。あの話し方は間違いなく、先程のイグネアと同じだ……考えて、イグネアに視線を落す。負傷した左の上腕部に何か痕を見つけ、瞳を凝らした。そこにあるのは何かを押し付けたような痕。文字のようなものだった。
「……紅蓮の、魔女」
 ぼそりと呟かれた言葉に、ヒュドールは弾かれたように顔を上げた。青碧の瞳に映ったのはひどく困惑した相棒の顔だった。
 驚いて固まっているヒュドールを黄金の瞳が見返す。その表情で、彼がすでに事実を知っているのではないかとリヒトは直感した。
「イグネアが言ったんだ。自分は【紅蓮の魔女】だって。お前は……知ってたのか?」
 リヒトの声には責めも怒りもなく、純粋な戸惑いだけが感じられた。
 ヒュドールは再度イグネアに視線を落とした。この半端ない負傷ぶりは、強力な魔術を扱ったが故の……そして真実を聞かせたがための“罰”なのか。
「とりあえず、今は屋敷に戻ろう。コイツの手当をして、話はそれからだ」
 ぐったりとしたイグネアを抱え直し、ヒュドールは屋敷に向けて歩き出した。

 屋敷に戻るとミリアムがおり、イグネアの姿を見て大変に驚いていた。気を失っているだけだと伝えると一先ずは安堵したようで、とにかく手当をしなければと動き出した。
 その後ミリアムはしばらく屋敷に滞在し、何かとイグネアの世話をしてくれた。身重の体で申し訳ないと思うものの、正直女手があると非常に助かった。男ばかりではどうにも出来なかったからだ。
 町に広がっていた炎が完全に鎮火したのは、その日の夜だった。屋敷の面々は洩れなく町の復旧、消火活動に走り回り、結局屋敷に帰り着いたのは夜半過ぎのことだ。
 暴れ回っていたカディールは寸でのところで生きており、充分と思わしき量の血液を採取した後にリーフが止めを刺した。今後の事を考えれば巣に残っている偽物も駆除する必要はあるが、とりあえず後回しだ。
 元々リトスの住民達は人柄が良い。家を失った者達は近隣の住居にしばらくは厄介になり、自宅の再建費用は無駄に金回りの良いオンブルが大幅に負担することになった。何だかんだ言って町の事を大切に考えているとうっかり知られてしまったオンブルは、この一件でかなり株を上げたらしい……というのは後日談であるが。

 居間にはシンとした空気が張り詰めていた。この場にいるのはリヒトとヒュドールのみ。オンブルは戻ってくるなりモルを引き連れて地下室に籠り切りになった。恐らく【万能薬エリキシル】の生成方法を必死に探しているのだろう。
 隣合って座っているものの、会話はない。戦闘やら何やらで一日中動き回り、身体は確実に疲れているはずなのに、どうしても眠れない。それはどちらも同じだった。
 どれくらいそうしていただろうか、不意に居間の扉が開いた。姿を見せたのはリーフだ。
 リヒトとヒュドールをここに集めたのは、他でもないリーフだ。イグネアが【紅蓮の魔女】であると自ら暴露したとなれば、これ以上リヒトに黙っている事は不可能だろう。全て話すつもりでいた。
 リーフは二人の向い側に座り、深く溜め息を吐いた。普段の愛らしい姿からは想像もできないほど、表情は暗い。彼とて普段滅多に使わない力を駆使して闘ったのだ、疲れていないわけがない。今すぐ寝てしまいたいほどだが、ヒュドールはともかくリヒトは真実を聞き出すまで寝かせてはくれないだろう。
 仕方がない……もう一度溜め息を吐き、リーフは視線を上げた。それを合図と捉え、リヒトとヒュドールも顔を上げる。
「こうなった以上は仕方がない故、全てを話す。そうでなければ納得がいかぬであろう?」
 深緑の瞳がリヒトを見据える。どうせ知られるのだ、面倒だから猫を被るのも終わりである。問いかけにリヒトは無言で頷いた。リーフの口調にも驚くほど余裕がない。
 次いで、深緑の瞳がヒュドールを捉えた。
「万一を考慮して、お主は何も話すでない。良いな」
「……わかった」
 これにはヒュドールも同意せざるを得なかった。
 ヒュドール以外の人間がイグネアの真実を知った場合、彼女の身には死が訪れる。けれど自ら暴露したが故か、イグネアはまだ生きている。
 ヒュドールは偶然にも秘密を知ってしまい呪いに巻き込まれたが、リーフは元々イグネアの素性を知っていた。もちろん、本人であるイグネアも然り。先の事実を考慮すると、ヒュドール以外の者が話す事は呪いにはならない可能性が非常に高い。

「まず、改めて名乗ろうか」
 そうして一息吐いて、リーフは言葉を繋げる。
わしの名はリーフ=エムロード。千年前、ベルルム大戦の時代にこのリトスの地で栄えていた聖地【プレシウ】の魔術師。【紅蓮の魔女】を裁き、罰を与えた“裁判官”だ。イグネアについては、先程自身が話した通り。あやつは史上最悪とされる炎の魔術師【紅蓮の魔女】で、大戦の主犯として裁かれた後、重い呪いを科せられ、その力で今なお生き続けておる。儂は大戦の折に嫁を殺された恨みを抱き、あやつと同様の呪いを自ら受け、同様に千年生き続けて来た。あやつの死を、この瞳で見届けるためにな」
 深緑の瞳が、射抜くような鋭さでもって黄金の瞳を捉える。
 リヒトは無言で話に聞き入っていた。
「イグネアに科せられた呪いは四つ……いや五つ。老いもせず生き続ける事を主とし、“意図して炎を操ってはならない”“自ら命を絶つことが出来ない”“子を成す事は許されない”、そして……“唯一人を除き、己の真実を語ることが出来ない”だ。これらは全て、魔女を不幸に導く以外に理由のない呪いばかり。あやつはそれに相応しい罪を背負ったのだ」
 最後の言葉を聞いた時、リヒトの肩がぴくりと震えた。
 それとなく気が付いたものの、リーフは構わずに抱えた呪いがどのような形で作用するのか詳しく話して聞かせた。肉体の時を止められた事に加え、プレシウの秘薬【万能薬エリキシル】と“自害を許されない”という呪いのせいで病も怪我も自然に治癒する、“意図して炎を操ってはいけない”ために使用魔術と同等の炎がその身を焼く、“子を成す事が出来ない”呪いで女としての価値を永遠に失い、子孫を残すことが許されない。
 そして。
「経緯は知らぬが、ヒュドールはあやつの正体を知り、“唯一の人間”となった。こやつが他者に真実を話せば、イグネアには死が訪れると……そういう図式になったわけだ」
 黄金の瞳は隣に座るヒュドールを見遣る。ヒュドールはその視線に応えること無く、少しばつが悪そうに視線を逸らしていた。
 リヒトは盛大な溜め息を吐いた。衝撃的すぎる真実に、額に手を添えて項垂れていた。驚きすぎて、上手く内容を処理できない。けれど、そんな中でもひとつだけ明確に理解出来る事があった。
「要するに、俺だけ完全に蚊帳かやの外だった……ってわけか」
 リヒトの呟きを耳に留めたヒュドールは、すぐさま申し訳なさそうな視線を向けた。
「すまない……」
「いや、この場合仕方ないでしょ。お前が話せばイグネアが死ぬっていうんだから。それで、お前はいつイグネアの事を知ったんだ?」
「ゴルドで、アイツ落馬しただろう。城に連れ帰った後にアイツが気絶して……その時に腕の烙印に触れたら全てが“視えた”」
「“視えた”?」
「アイツが裁かれている瞬間だ。それで正体を知った」
「それも呪いの効力だ。“唯一の人間”には全てが視え、視たが故に逃れられぬようになっておる」
「そっか……」
 力なく答えて、リヒトは再び俯き、そして今一度息を吐いた。
 あまりに突拍子もない内容で、正直、いきなり全てを信じるのは難しい。けれどヒュドールもリーフも嘘を言っているようには見えないし、作り話にしては巧妙すぎる。だからきっと全て真実なのだろう。
 あのイグネアと、今なお“最悪の魔術師”と呼ばれる【紅蓮の魔女】は到底結びつかない。そんなにも重く辛いものを抱えていたなんて、少しも感じなかった。そこまで聞くと、ミールスの呪いなど些細なもののように思えてしまう。
 そして自分だけが何も知らなかったという事実は、リヒトの心に影を差した。もしもあの時、イグネアを連れ帰っていたのが自分だったら――もっと早く彼女の“唯一”になれたのに。
「……イグネアは助かるの?」
 リヒトが問うと、リーフは渋い表情で肩をすくめた。
「時間を要するが、呪いの効力で身体の傷は消えるだろう。幸か不幸か真実を語ったのが己であるため死には至らなかったが……そこへ最大魔術を使用したが故の“罰”がどのように作用したのか、正直儂にも判断できぬ。目覚めるのかどうかもはっきりせぬ。命が助かっただけ有難いと思う以外にないな」
 リーフの言葉通り。
 それから三日が経過してもイグネアは目覚めなかった。





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