× 第4章 【炎と烙印】 34 ×





 カディールの襲撃から数日が経過していた。
 リトスの住民達は昼夜を問わず町の復興のために働き、町中は常に騒がしい。この非常時に普段の仕事などやっていられるか、とばかりにどの店も閉まりきりだ。
 幸いにも死者は出ず、負傷者だけで済んだものの、家を失った者が多数いる。そんな仲間のために早く新しい家を、と誰もが汗水流して働いていた。
 ベルンシュタイン邸の面々も同様に、町民達に積極的に協力していた。元はといえば自分達のせいでこうなったのだから、当然文句を言う輩はいない。
 ちなみにオンブルは常に屋敷に滞在しているが、こちらは昼夜を問わず地下室に籠もりきりである。どうやらリーフの命令もあり、これまで以上に根を詰めて【万能薬エリキシル】の生成法を探している様子。全くと言っていいほど地上に姿を見せないため、時々生きているのか疑わしいこともある。しかもろくに食事を取らないばかりか、大好きな(?)おやつさえも摂取しないため、ちょっと本気で心配になったりもするのだが。
 そして、未だ目を覚まさないイグネアは、日中はミリアムが来て世話をしてくれている。昼近くなるとマイルを連れて来てくれ、夕刻まで家事全般を請け負ってくれるが、製菓店は休業中とはいえ彼女にも自宅での仕事がある。それに今は大事な時期であるため、朝と夜だけはヒュドールが諸々こなしているのである。
 あの低血圧が文句一つ言わずに早起きをしている様は、この先一生見る事は不可能だろうな……と相棒のリヒトはおろか、リーフさえも密かに思っていたが、言葉にされることはない。彼が無言でそうする理由、その気持ちが少なからず理解できるからだ。

 そんな慌ただしい生活を送っているうちに、無情にも時は流れてゆく。イグネアが眠りについてから、気付けば五日が過ぎていた。
 町はたったの五日で見事なまでの復活を見せていた。再建中の家も、住居としてはまだまだ不完全だが、そう時間もかけずに建て直し完了となるだろう。それもこれも住民達が持つたくましさの成せる業である。
 そんな中で際立っていたのはモルの器用さで、持ちうる美的感覚をも同時に駆使し、さらに無駄口を一切利かないという、特技というかもはや職人業としか言いようのない仕事ぶりでかなり貢献していた。見た目は相当怪しいが、まあ存分に役立ってくれたから何でもいい。そんなモルの神業レベルの仕事に加え、ニアの職人達も大勢駆けつけてくれたため、あっという間に町は元の姿へと近づいていったのだ。

 さて、その日の夜のこと。
 日中働き詰めで疲れた身体をソファに預け、ややぐったりとしていたヒュドールとリヒトの元に、リーフがやって来た。何やら言いたげな顔を見た瞬間、ヒュドールだけでなくリヒトも面倒そうに視線を逸らした。疲れているから文句も小言も聞きたくないという心情の現れだ。
 正体がばれて以降、リーフはリヒトに対しても遠慮なしにプレシウ訛りで話し、また毒舌等も発するようになった。ヒュドールに対してほどではないが。
「お主等、もう国へ帰れ」
 一体何を言い出すかと思えば……突然の言葉に美形共は揃って「はあ?」とでも言いたげな顔をした。ヒュドールに至っては思い切り“不満”の二文字が浮かんでいたが、リーフは微塵も気にしちゃいない。
「何だ、いきなり」
「町の方は大分片付いて来ておるし、後は住民共のみでやって行けるだろう」
「だからと言って、この状態のまま放置して俺達だけ帰るわけにはいかないだろうが」
「そうだよ、町がこんな状態になってしまったのは俺達にも責任があるし、中途半端で投げ出すなんて意に染まないな」
 ヒュドールの意見に、リヒトも迷うことなく同意した。
 うっかり忘れてしまうところだったが、二人は王宮に仕える騎士と魔術師である。一般人よりもはるかに強い責任感を持っているのだ。町の人間が必死に働いているというのに、見捨てて自分達だけさっさと帰郷など出来るはずもない。
 しかし。
「町の者共はお主等が帰ったところで責めはせぬよ。そのように心の狭い者共ではない。それよりも、問題となるのはイグネアの件だ」
 リーフの言葉に、二人の表情が一変して堅くなった。
「あやつが目覚めるという保証はない。可能性があるにしても、何時いつになるかなどわからん。三日先かも知れぬし、それこそ一年、いや十年先かも知れぬ。そのように未知な状態で滞在し続けても仕方なかろう。お主等にも本業があるだろうに」
 二人は揃って閉口した。悔しいが、奴の言う通りである。
 自分達の本業はスペリオルの騎士と魔術師であって、この町の住民ではない。王命を受けているとはいえ、そう長く城を空けていられるものでもない。
 けれど、眠ってしまったイグネアを置いて国に帰る事も出来そうにない。そもそもヒュドールとリヒトに与えられた使命は、イグネアとリーフを連れ帰る事なのだ。一緒に戻らなければ、こうして長い間城を空けていることさえ無駄になる。
 それに……ヒュドールに至っては「連れて行ってくれ」と言われたのだ。もしも目覚める可能性があるのならば、もう一度本人の口からその言葉を聞きたいし、本当に願っているのならばそうしてやりたい。
 イグネアが目覚めるまで待ちたいという気持ちは、ヒュドールもリヒトも同じだった。けれどリーフが言うように、数日ならばともかく一年も十年もここで待つことは実際に不可能。
 さて、どうすべきか。
「イグネアが目覚めたあかつきには、一度連れて帰ってやる。信用出来ぬというならば、わし直々にチョビヒゲに一筆認めてやれば良かろう。それも血判付きでな。言っておくが、プレシウの魔術師にとっての血判は、命に代えても果たさねばならぬ誓約の証となる。それを破るほど儂は誇りを棄ててはおらぬぞ」
 千年生き抜いていたリーフは、見た目に反して賢しく腹黒い。それは今までの猫被りモードで一目瞭然だ。嘘も騙しも必要とあらば駆使するが、【血判の誓約サングィス】を持ち出してまで嘘を吐くような、そんな落ちぶれ者ではない。気が遠くなるような時間が流れ、時代が変わっても、プレシウの魔術師としての誇りは今でも持ち続けているのだ。
 その、どうにも上から目線な物言いには大いなる不満を抱いたものの。
 一晩考え抜いた結果、ヒュドールとリヒトは先にスペリオルへ戻る決意をした。そして三日後に町を立つ旨を認め、チョビヒゲヘ報告書を送るのだった。




 翌朝。
 昨夜作成した報告書を早いうちにスペリオルへと送り、リヒトとヒュドールは前日同様に復旧の作業を手伝いに出かけた。その際に国へ帰る事実を伝えると、町民達は純粋に別れを惜しんでくれていた。特に老若問わず女性の引き留める声が多かったのは言うまでもないが、リーフの言葉に間違いはなかったと認めざるを得なかった。さすがは千年生きた(ある意味)猛者、人を見る目は確かにあるようだ。
 ちなみに余談だが。例のごとく、二人を異国の王子だと勘違いした郵便一家の手により、リーフの猫被り血判付き報告書は、通常の五倍の速度でスペリオルに届けられたらしい(後日談)。

 そんなこんなで、一日は終わりを告げようとしていた。
 一足先に屋敷に戻ったリヒトは、イグネアの部屋へと向かった。扉を開けようとしたところで丁度世話を終えたミリアムが出てきたため、互いに軽く挨拶を交わす。いつもは一緒に来ているマイルは、今日は自宅に置いてきたらしい。
「イグネアは?」
「今日も目覚めなかったわ。でも怪我はずいぶん治っているみたい。左腕以外だけど……」
 溜め息を吐いて、ミリアムは俯いた。
 世話をしてもらうにあたり、ミリアムにはある程度の事情を話しておいた。さすがに千年生きているとか、イグネアが【紅蓮の魔女】であるとか、罰を受けているとは言えなかったため、ミールスに呪われたせいで常人よりも怪我の治りが早い、という事にしておいた。そしてイグネアが強大な力を持つ炎の魔術師であるという事実は話してあり、カディールと闘ったがゆえの負傷であるとミリアムは承知済みだ。
 事情を知ったミリアムはとても驚いていた。普段の素振りからはそんなに力のある魔術師には見えなかったと。けれど、今は何よりイグネアに目を覚まして欲しいと願っていた。そして無事に呪いが解ければいいと……まるで妹を心配するように。
「それじゃ、今日はもう帰るわね」
 沈みかけた心を悟られぬようにと、ミリアムは笑顔を作った。女性の所作には敏感なリヒトが見逃すはずもなかったが、そこはあえて気付かない振りをした。
「明日もお願いします」
「はい、またね」
 自宅まで送ろうかと提案するも笑顔で断られたため、去ってゆくミリアムを玄関口で見送り、リヒトはもう一度イグネアの部屋へ向かった。
 当然だが室内は静まり返っている。寝息の音すら聞こえなくて少しだけ不安になり、静かな足取りで近づきベッドの隅に腰掛けて様子をうかがった。そっと手を伸ばし頬に触れてみるも、愛しの姫は深い眠りについたまま目を覚ましそうにない。
 ミリアムが言っていたように、怪我の具合は大分良い。……左腕を除いて。他の部分は回復しても、罰を受けた左腕だけはいつまで経っても治る様子がない。包帯を巻いた腕は痛々しい。
 歴史上の人物として語られる【紅蓮の魔女】がどんな人物だったのか、想像した事がある者は少なくないだろう。もっと狡猾で、非情な人物像を創り上げていた者も多いはず。
 千年前のイグネアはそういう人間だったのかも知れないが、今は違うと断言できる。仕事柄様々な人間を見て来たゆえに、リーフほどではないが人を見る目はそれなりにある。本当に悪意を持つ者かそうでないかくらいは判断できる。だから、今のイグネアは“犯罪者”ではないとはっきり言える。
 早く目覚めて欲しいと願わぬ日はない。君の言葉で真実を聞かせて欲しいと、切に願う。けれどもし、何年も目覚めなかったなら? 自分が老いて死ぬまで永遠に眠ったままだとしたら? この想いはどうすればいいのだろうか。
 頬に触れていた手が、肩のあたりまで短くなってしまった栗色の髪に触れる。指先で撫でながら、リヒトはゆっくりと腰を折った。
 連れて行けないのなら。目を覚まさないのなら。他の誰かに盗られる前に、せめてこれだけは――静かに寝息を立てる唇に口付けようと顔を寄せた。
 と、その時。
「何をしておる」
 わざとらしい声にリヒトは間際で動きを止め、振り返る。背後には腕組みをして仁王立ちするリーフがおり、深緑の瞳は不満げにこちらを見ている。
「何って……君が邪魔しなければ、キスしてたんだけど」
 などと隠す素振りもなく堂々と言い放ち、黄金の瞳がいささか警戒するような視線を向けると、リーフはあからさまにムッとした。
「そのような瞳で見るな。どうせ儂は、どうあってもそやつを殺す事など出来ないのだからな」
 そう言って、リーフはふいっと視線を逸らした。それは彼の中でイグネアへの恨みが消えたのか、それとも追い続けるうちに特別な感情が生まれたのか……定かではないが。
「どうでも良いが、寝ている間に手を出しおったら承知せぬぞ」
 一変して、深緑の瞳がギロリと睨む。
 対するリヒトは案外飄々としている。リーフの本性を知っても、何となくそれなりに腹黒さを感じ取っていたせいか、イグネアの正体よりも衝撃は少なかったらしい。
「そこは君にどうこう言われる筋合いないと思うんだけどな。というか、俺としてはこの状態でも連れて帰りたい気持ちがあるんだけど。ここに置いて行くのは何より危険だし。それより君こそ、彼女に何かしたら本気で命はないと思っていてね」
「さあどうであろうな。そこは確約せぬぞ」
 お返しとばかり、リーフがしれっと返す。
 互いに不満げな表情を向け合い、しばしの牽制。何やら微妙な空気が漂い始めていた。




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