× 第4章 【炎と烙印】 37 ×




 久々のリヒトの魔手から逃れたイグネアは、無意識に人気のない場所を探して隠れていた。そんな感じで気付いた時には地下の階段付近で息を潜めており、じっと敵の動向をうかがっていた。ここならば誰も来ないだろうし、地下の住人であるオンブルも余程の事がない限り現れないだろう。
 ひと息吐くと思い出したように脱力した。そういえば先ほどフラフラになっていたのだった、と思い出す。よくもまあここまで走ってきたものだと己を誉めてやりたい。
 それにしても、なぜあの事をリヒトが知っていたのだろうか。ヒュドールが話したのか。というか、もしやリーフも知っているのでは……と考えて青ざめていた矢先。
「何をしておる」
「ひいいいいい!!」
 背後から声をかけられ、イグネアは悲鳴を上げた。振り返るとそこにはリーフがおり、深緑の瞳がじっと見下ろしていた。
「このような場所まで一人で出歩いてきたのか? 顔色が優れぬのだから早く部屋へ戻れ」
 文句の一つでも言われるかと思っていたが、意外にも気遣うような発言をされ、イグネアは面食らった。右腕を支えられてゆっくりと立ち上がらせられたが、その後も腕は掴まれたまま。要するに、倒れぬようにとの気遣いなのだろう。
 やけに親切なリーフを少々不気味と思ってしまったが、その顔を見ているうちにそういえば……といくつか話があったのだと思い出した。
「リーフ」
「何だ」
「その、世話になったな。それと、迷惑をかけてすまなかった」
 まさかイグネアが素直に詫びるとも思っていなかったようで、リーフは少し意外そうな顔をした。そうして束の間無言でいたが、ようやく口を開いた。
「このまま目覚めなければ、全てに於いて許し難いと思っておったがな。無事ならばそれで良い」
「そ、そうか……」
 何だかあんまりにもいつもと違うので、本気で不審に思えて仕方がない。何か悪い物でも食べたのだろうかと若干怯みつつ、しかし気を取り直してイグネアは顔を上げた。
「そ、それと、おぬしにひとつ頼みがあるのだが……」
「何だ?」
 今度こそ文句の一つでも言われる覚悟を胸に、イグネアは恐る恐る申し出た。
「あの、その、一日だけモルを貸して欲しいのだ」
 モルはリーフと契約中であるため、勝手に使役する事はできない。ちょっとした用事ならば大丈夫だろうが、丸一日ともなるとリーフに許可を得る必要があるわけだ。
 間違いなく断られそうだ……とイグネアは考えていたが。
「何だそのような事、好きにすれば良い」
 イグネアは激しく動揺し、二歩ほど後ずさり、ゴンという無様な音と共に壁に頭をぶつけた。意外な返答だっただけでなく、なんとリーフが爽やかに笑みながら答えたのだ。
 何だろうか、この変貌ぶりは。これは間違いなく悪い物でも食ったか、先の戦闘で頭でも打ったかに違いない! などと恐れを成している隙を突かれ、気付けばうっかり追いやられてしまっていた。
「ひいっ!」
 両脇に手を付かれて壁際に追いつめられ、完全に逃げ道を失った。見上げれば目前にはじっと見つめてくる深緑の瞳があり、いつだったか同じような状況があったような……と思考を巡らせて思い出す。
 逃げ出したい衝動に駆られて顔を逸らすと、伸びてきた手がしっかりと顎を捕らえ、なんでかじっくり眺められ、イグネアは壮絶に青ざめた。
「負傷の痕は消えたようだな。瞳の具合はどうだ」
「は? 瞳?」
「裸眼でおっても平気であろう」
「……あっ!」
 言われて初めて、そういえば眼鏡をしていない! と思い出した。気付くのが遅過ぎである。
「眼鏡は壊れてしまったのだ!」
「そのようだな。しかし再び作製するには材料が足りぬため、割れた破片で眼球用のレンズを作らせた」
 作らせられたのは間違いなくモルだろうが。
 まさか……とイグネアは別の意味で青ざめた。
「まま、まさか、そのレンズとやらを私の瞳に……!」
「今朝ほど、寝ている間に施しておいた。不都合はなかろう?」
 眼球用のレンズとは、リーフ自身が使用しているものである。聞いたところによると、モルの素晴らしく恐ろしい手工技術により極薄まで削り、瞳に負担をかけぬようにとの加工がされているそうだが。
 なぜそんな自虐的な真似をしなければならないのか。というか、許可もなく勝手に施すな! と憤慨するも、もしかしなくともこの場合仕方がないのか、と終いには諦めた。どちらにしても、裸眼のままで生活することは難しい。“腐ってもプレシウの魔術師”といったところか。
 がっくりと脱力して項垂れていると、もう一度顎を掴まれ、顔を上げさせられた。何だか嫌な予感がして、イグネアはさっと視線をそらした。
「な、なな、何だ?」
「……ああ、キスでもして貰おうかと思ってな。ヒュドールに出来るのだから、(わし)にも出来るであろう?」
「はあっ?! おおお、おぬしは何を言っているのだっ!」
 イグネアは壮絶に青ざめた。だからなぜこやつらがその話を知っているのだ!
「案ずるな。儂はキスの一つや二つで咎めるほど器は小さくない」
「い、いやいやいやいや、そういう事ではなく……」
「まあ金輪際そのような間違いが起こらぬよう、今後は浮気も出来ぬように仕込んでやるがな。それこそ色々な意味で」
 そりゃどういう意味だ! とイグネアは心中で激しく突っ込んだ。
 リーフは、顔は笑っているのに瞳が全く笑っていない。それで何か怒っているんだとようやく理解したが、何故怒っているのかまでは察することができず、とりあえずこの場を乗り切るためにイグネアは適当な言い逃れを必死で考えた。
「あ、あれはその、り、理由があってだな……」
「ほう。ならば聞いてやろうではないか」
 理由次第では勘弁してやる、と付け加え、リーフが不敵に笑む。というか、そもそもこやつに許可を得なければならない理由などないはずだが。
 言ってみろと言われても上手い言葉が浮かばないし、実際思い出すのもこっぱずかしい出来事なので、話すのが躊躇われる。ひたすらおろおろしていると、右腕を強く掴まれ、イグネアは反射的に顔を上げた。
「あやつに惚れておるのか?」
 いつかと同じように、えらく真剣な表情でリーフが問うてくる。
「な、なぜそのような話になるのだっ」
「お主は阿呆か? それとも、わざとそのようにはぐらかしておるのか?」
「意味がわからないぞっ」
「どう考えても、そのようにしか繋がらぬだろうが」
 “男女のアレコレ”は夫婦間でしか許されないと、千年前の風習を変わらず信じていたこの女が唇を許したのだ。恋愛感情と気付いていなくとも、少なからずあの小僧に対して特別な感情を抱いている以外に、理由はない。まあその経緯は何らかの事故に違いないとは思うが……などと、リーフは意外にも的中した予測を立てていた。
 しかし、どう答えていいのかわからず困惑しているイグネアに少々苛立ったのか、リーフはうんざりしたように溜め息を吐いた。これ以上問い詰めたところで、自覚がないのだから明確な言葉など言えないだろう。というか、その言葉を聞きたくないというのが本心だが。
「……もういい」
 一言呟き、リーフは身をひるがえして行ってしまった。その背中は“不機嫌”そのもので、イグネアは声をかけることもできずに呆然と見送った。
 支えを失った身体は再び思い出したように脱力する。どうでもいいが、この場に放置されても困ってしまうのだが……とおろおろしていると、運良くか廊下の向こうからヒョロっと背の高い影が現れた。
「あ、あの……」
 通り過ぎざまに声をかけると、奇妙な造形の色眼鏡がこちらを向いた。
「何か」
「その、二つほどお願いがあるんですが」
 ひとつは、(当然)部屋まで連れて行って欲しいこと。
 そしてもうひとつは、北の山へ行って“あるもの”を探してきて欲しいこと、だ。


 モルに付き添われて部屋に戻った頃には、リヒトの姿は消えていた。ここに至るまですれ違わなかったため、屋敷内にいるのか出かけたのかもわからない。
 何かもやもやとした気持ちを抱えながらも、横になりたい疲労感が見事勝利し、イグネアはベッドに横たわってぐったりした。のろのろと視線を上げてみれば、カーテンの引かれた窓はオレンジ色に染まっており、それでもう夕刻なのだと気付いた。
 どうせ満足に動けないのだから、今日はもう寝てしまおうかな……と少しうとうとし始めると、目覚めろと言わんばかりに扉がノックされ、イグネアははっと瞼を開いた。誰だろうかと思いつつ返事をしようと口を開いたが、先に扉の向こうから声が聞こえ、慌てて口を塞いだ。
「俺だ、入るぞ」
 この声は……! と青ざめ、イグネアは大慌てでベッドに潜り込み、頭まで毛布をかぶった。要するに寝たふりだ。
 声の主――ヒュドールは、一瞬の間の後、扉を開いて室内に踏み入って来た。足音が徐々に近づいてくると、なんでか心拍数が上がる。「近づいてきたキャッ!」とかいう乙女心満載なドキドキではなく、寝たふりバレたらどうしようという緊張感以外の何物でもないが。
「……寝てるのか?」
 気遣うように静かな問いかけに、うっかり「そうですよ」などと返事をしそうになったが、喉元まで上がって来た言葉をぐっと堪えた。ひたすらに寝たふりを決め込んでいると、功を奏したのかヒュドールは諦めたらしく、足音が遠のいてゆき、再び扉が閉まる音がした。
 やっと行った……と緊張感から解き放たれた途端、無意識に安堵のため息が零れた。それにしても、顔を合わせたくないのは事実だが、同じ家に住んでいる以上このまま避け続けるのも無理な話だ。というか自分、なぜ避けているのだろうか? と疑問に思ったところで、勢いよく毛布が引きはがされ、イグネアは悲鳴を上げた。
「ひえええええ!!」
 びっくり仰天して見上げると、不機嫌最高潮と思わしき青碧の瞳が睨んでいるではないか。
「やはり寝たふりか。そんな稚拙な業でこの俺を欺けると思うな!」
「ひいいっ、すみません!」
 あまりの眼光の鋭さに、イグネアは条件反射で謝ってしまっていた。

 オレンジ色に染まった室内、二人の間に漂うのは“気まずい”の一言に尽きる。それに加えてヒュドールが不機嫌であるため、イグネアは完全に追い詰められた小動物のごとく、びくびくしながら左腕の包帯を替えてもらっていた。いつもはミリアムが帰宅前にやってくれていたのだが、早い時間に帰してしまったため、それを聞いたヒュドールが代行しているのである。
 こんなことなら無理せずミリアムさんにいてもらえば良かった……と後悔するものの、時すでに遅し。すこぶる気まずい空気が支配する中、イグネアは視線を泳がせながらどうしようかと必死に考えていた。
 ヒュドールは、例の件を気にしてなどいないのか全く平常通りに見える。不機嫌なのは一目瞭然、淡々と古い包帯を外しているだけだ。奇妙な沈黙は、永遠ではないかと思われるほどに続いた。
 巻かれていた包帯を外し終えると、未だに火傷の痕が残る腕がさらされる。当初よりは幾分か癒えているが、それでも細腕に残るにはあまりにも酷い。
「……解呪効果のある【万能薬(エリキシル)】はまだ出来ないらしい。オンブルの話だと、早くてもあと五日は要するそうだ」
「そ、そうか。それは気長に待つしかないな」
 心構えが出来ぬうちに話しかけられ、イグネアは上ずった声で答えた。異様に緊張しているのが自分でもわかる。触れた手から伝わるんじゃないかと思うと、妙に気恥かしい。というか、なぜこんなに緊張しているのか。
「言いそびれていたが、俺達は二日後にここを発つ事にした」
「そうなのか……って、はっ?」
 唐突な話に驚き、イグネアは勢いよく顔を上げた。いささか不機嫌が緩和されたらしいヒュドールとうっかり視線が合った。
「発つ……とは、どういうことだ?」
「スペリオルに帰る事にした」
「な、なぜだ?」
「アンタが眠ってしまった時、リーフに言われた。この先いつ目覚めるかわからないのだから、ここで待っていても仕方ないだろうと。奴の言う通りだと判断し、チョビヒゲに帰還の報告書を出しておいた」
「し、しかし(わし)は目を覚ましたぞ?」
「送ってしまったものは取り返しがつかない。決めたからには帰るしかない」
 あくまできっぱりあっさりと返され、イグネアは返す言葉が見つからずに俯いた。なにかわけのわからない気持ちが芽生えた。それは以前、二人が帰るかもしれないと思った時に感じたものと同じだった。
「アンタについては、リーフが血判付きの書状を認めた。目覚めたあかつきには一度連れて帰ると」
 一瞬、イグネアは固まった。
「なっ! あやつ【血判の誓約(サングィス)】など持ち出したのかっ?!」
 【血判の誓約(サングィス)】といえば、プレシウの魔術師にとって、重大な誓約を取り交わす際に行われるものだ。誓約を破れば、たとえ殺されても文句は言えない。それをこのような些細な事に持ち出したなど、一体何を考えているのだ! とイグネアは絶句した。
「残る問題は【万能薬(エリキシル)】の出来、つまり俺達が発つまでに呪いが解けるか否か、だが……アンタはどうしたいんだ」
「へ?」
 見上げると、青碧の瞳がじっと見つめていた。
「俺は、出来る事ならアンタを連れて帰りたい。ギリギリまで待つつもりではいるが、それもせいぜい二日が限界だ。だが【万能薬(エリキシル)】が間に合わなければ置いて行くしかない。そこに不安がないかと問われれば、はっきり“ある”と言える」
 あの言葉が本当だったとしても。時が過ぎれば心変わりなどいくらだってある。その上あの超絶腹黒クソガキの元へ置いて行くのだ、たとえ認めた書状があったとしても覆される可能性は十分にある。
「だからアンタがどうしたいのか、どう思っているのか聞きたい。あの時言った言葉は……本当か?」
 いつの間にか包帯を巻き終えていた腕を、極めて優しく取られた。改めてみると意外と至近距離にいたのだと気付き、イグネアは突然に焦り出す。取られた腕を軽く引かれれば、それこそ純な乙女が「キャッ」とか言いながら胸にもたれるとかいう、そんな恥じらいのシチュエーションにもなってしまいそうだ。
 “あの時”とは――疑う余地もなく、“あの時”のことだろう。
「あ、あれは、その……」
「連れて行って欲しいのは、俺か? それともあいつらか?」
 思い出すだけでこっ恥ずかしい出来事だというのに、それすらも許さんとばかりにヒュドールは間髪を容れずに話を繋げる。
 イグネアは一気に混乱した。許容範囲を超えた会話の内容に、言葉も何も浮かんできやしない。
「ま、待て待て。少し、待ってくれ」
「誰が待つか。そうやってはぐらかす気だろう」
「そうではない。そうではなくて……」
 はぐらかすも何も、展開が速すぎてついて行けないのだ。
 そもそも色恋沙汰と無縁の世界にいたイグネアに、かなりぶっ飛んで要約すると「俺が好きかどうなのか」といった話を振ってもすぐに答えられるわけがない。
 しかしそれすらもヒュドールは承知済みだった。元々短気な性格もあるが、捕えられそうな距離にいる獲物を悠々と泳がせてやれるほど、余裕があるわけでもない。隙あらば獲物を横取りしようとする奴らが相手では尚更だ。
 イグネアはしばらくの間、「あー」とか「うー」とか奇妙なうめき声を上げていたが、やがて観念したのかもそもそと口を開いた。
「そ、その……あの時は夢中だったから、よ、よく覚えていないというのが正直なところで……」
 ちらと見上げると、あからさまにムッとしたらしい青碧の視線が返って来た。人の意思を無視した行為をしでかしたくせに、なんだその逃げっぷりは! とでも言いたげである。
「うっ……その、おぬしが苛立つのもわかるが、巧く言葉が出て来ないのだ。ただ……おぬしが「一緒に帰ろう」と言ってくれた時、とても嬉しかった。今まで帰る場所などなかったから、私にもそれが許されるのだと思うと、胸が熱くなった。そして、その未来を与えてくれるのがおぬしなら、何が何でも護らねばと思った。何よりも、護りたいと思ったのだ」
 そのためならば、命をかけることくらい何でもなかった。そう思えるほど、イグネアの中でヒュドールの言葉は輝かしいものだった。
「だから、その……お、おそらく私は、おぬしと、共に、帰りたいのだと……思う」
 真紅の瞳がおろおろと見上げると、間近に迫っていた青碧の視線と合った。
「うっ……い、勢いで、あ、あれをしたことは、謝る。しかしその、あれはその、理由があって……」
 ああもう、勘弁してくれ! と内心で壮絶な悲鳴を上げ、咄嗟に俯くと。
 すっと伸びてきたヒュドールの腕が背に回され、気付けば抱きしめられていた。
「なっ、なんだっ?!」
 突然のことにイグネアはひたすらあたふたしたが、ヒュドールは決して離そうとしなかった。
「……俺は、アンタの事が好きだ」
「うっ、そ、そうか」
 この状況で改めて言われると、妙に気恥かしい。
 何と答えていいかわからず困惑するイグネアをよそに、ヒュドールは言葉を続けた。
「だから、本当にアンタの心が俺に向いたのなら、その証が欲しい」
「あ、証っ?」
「必ず俺の元へ戻って来るという証だ。離れる間、他の男共の元へ置いて行くんだ。どれだけ心配かアンタには解らないだろうな」
 たしかに理解できそうにないが……ヒュドールの言わんとしている事は、微妙になんとなくわかるような、わからないような。しかしよくわからない。
「ど、どど、どうすればいいのだっ」
 イグネア的には、どうすればこの状況から脱却できるのだろうか、という意味合いを込めて言ったのだが。
 ふっと抱きしめる力が緩んだかと思うと、ヒュドールのしなやかな指が顎に触れ、顔を上げさせられた。そうして繊細なまでに麗しい顔が近づく。
 この展開はまさか……と気付いたイグネアはさっと青ざめた。リヒトおよびリーフ相手で鍛えた危険察知能力が異常反応し、条件反射で全身に力がみなぎり、あわやというところで白銀の長い髪をぐいっと掴み、何とか阻止した。
 途端、ヒュドールの眉間に“不愉快”を表現するしわが寄った。
「人のは奪っておいて、自分は逃げるのか。この卑怯者め」
「ひっ、卑怯とはなんだ、おぬしの方が卑怯だぞ! 大体にして、あれはだな……!」
 と言いかけたところでイグネアは言葉を呑み込んだ。まさか、ちょっと頬にでもするはずが勢いづいてうっかり唇にいった……などと言えるわけがない。というか説明するのもこっ恥ずかしい。
「油断させるつもりでやった事くらい、わかっているぞ」
「うっ!」
 賢いヒュドールがそれくらい見抜けぬはずがない。
 けれど、たとえ勢いだろうが何だろうが、頑なに護っていたものを許された事には効果絶大な意味が生まれるわけで。
「自分で撒いた種だ。潔く責任を取れ」
 髪を掴んでいた手を容易く捕え、ヒュドールはさらに顔を寄せたが。
「だめだっ、耐えられん!」
 イグネアが叫ぶと、その心の悲鳴に反応したのか、近場にあった無駄に豪華な花瓶が音も派手に弾け飛んだ。昨日割ってしまったからとせっかく新しい物を置いたのに、何とも無残な結果である(ちなみに置いたのはオンブル)。
 途端、ヒュドールは頬をひきつらせた。何もここまで拒否しなくてもいいではないか。何だこれは呪いか。全く空気が読めない上に面倒くさい小娘だ! と心中で荒波のごとく押し寄せる毒は後を絶たず、その怒りは最高潮に達し……
「もう知るか!」
 結果、全身で“不機嫌・不愉快”を表現しながら、白銀の魔人は行ってしまったのだった。




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