× 第4章 【炎と烙印】 41 ×




 無事卵から孵化したカディールのヒナは、居間にてしばしの間奇妙な鳴き声を発していた。そんな感じでひとしきり鳴いた後は、気が晴れたのかそれとも単に疲れ果てたのかは知らないが、ぐっすり眠ってしまった。イグネアにだけすっかり懐いたようで、彼女の膝の上はもはや特等席になりつつある。
 まだ幼体であるせいか威力は弱かったらしく、麻痺攻撃を食らったリヒトとヒュドールは間もなくして復活したが、あからさまなヒナの贔屓ぶりに双方たいそう不満げであった。リヒトいわく、イグネアが一生懸命温めていたのが伝わったのではないかとの事だが、とにかくうるさいのと贔屓ぶりにヒュドールは眉間にしわを寄せっぱなしだ。
 そこへようやく帰宅したリーフが加わり、一連の話を聞かされたのだが……
「ははははは、情けないのう!」
 予想通りというか何というか、ソファの上で腹を抱えて笑い転げやがった。
 笑われている美形共はというと、あからさまにムッとしている。特にヒュドールなど不愉快最高潮だ。
「ならば貴様も触ってみろ!」
「おお良いぞ。やってやろうではないか」
 などと自信満々・余裕綽々の表情、かつ下から見ているのにやたら上から目線で言い放ち、リーフは隣に座っているイグネアの膝に手を伸ばす。
 それまですやすやと寝ていたヒナはふいに不穏な気配を察したようで、ぱちっと瞳を開けた。そしてリーフの指が触れる間際、警戒するかのように膨らんだ。
 そして結果は――
「おのれっ……!」
 案の定嫌がられたらしいリーフは、美形共同様に麻痺攻撃を食らい、あえなく崩れ落ちた。
 そこまでは良かった(?)のだが。
「ひいいっ! なぜここに倒れるんですかっ!」
 倒れた先がイグネアの膝の上だったため、美形共の怒りを買っていた。

 結局予想通りリーフも嫌がられ、屋敷内でヒナに触れられるのはイグネアだけとなってしまった。ちなみに先程オンブルも呼び寄せて触らせてみた所、同じように攻撃を食らい、現在床に転がっている状態だ。麻痺している間は誰にもどうにも出来ないため、哀れに思うものの仕方なく放置である。
「こやつ、絶対に雄であろう」
 攻撃された事でたいそうプライドに障ったらしいリーフが、不機嫌最高潮でヒナを睨む。こめかみに青筋が浮かんでいるのは見間違いではない。
 このリーフの意見には、美形共も大いに賛同したらしい。うんざりしたように頷いていた。どうでもいいが、たかが鳥のヒナごときに揃って大人気ない。
「そうなのでしょうか?」
 真紅の瞳が、ヒナの翡翠の瞳をじっと見つめる。鳥に美人とか美男子とかいう括りが存在するのか謎だが、とにかく見た目だけで雌雄を見分けるのは困難である。
「確かめてみろ」
「えっ、私がですか?」
「お主しか触れられぬのだから、仕方あるまい」
 早くしろ、と言わんばかりに睨まれ、イグネアはうっと怯んだ。しかしどうやって確認すればいいのか……とモタモタしていると。
 背後からぬうっと手が伸びてきて、イグネアの手からヒナを取り上げた。何事? と皆が視線を集めた先にはモルがおり、モルはびっくりして膨らんでいるヒナをひっくり返し、何やら確認していた。
「……雌」
 そう一言残してヒナをイグネアの手に戻し、モルは居間から去った。
 皆が唖然としたのは言うまでもない。何より一同を驚愕させたのは、触れても麻痺しなかった事である。もしや気に入られたのか? という疑いをよそに、ヒナ自身も驚き過ぎて対応できなかっただけなのだが、それはヒナだけが知る事実である。
 さて誰もが雄と思ったヒナが雌だったということに、とりあえず喜んだのは無事に復活を遂げたオンブルである。なぜかというと、雌であれば成鳥となって卵を産むことができるからだ。まあ“つがい”となる雄がいればの話だが。
「女の子なんですか。可愛いですねえ」
 そしてイグネアは、もふもふとヒナを撫でながら一人にやけていた。ちょっとデレデレし過ぎだろ、という程のにやけっぷりで、軽く周囲を引かせたのも無理はない。
「いわゆる仲間意識というやつか。女は連むのが好きだからのう。全く、雌ならば儂に懐けば良いものを」
 ここで最も良い男は儂だから、とリーフが余計な一言を付け加えると、美形共がぴくりと反応した。
「それなら、ここは俺が選ばれるべきだと思うんだけど。俺よりイイ男は他にいないよ?」
 リヒトがえらく真面目な顔で言えば。
「自分で言うな気色悪い。貴様らのナルシスト精神には正直寒気がする」
 ヒュドールが心底冷えた眼差しを二人に向けた。
 そして案の定、見えない火花が三方向から散る始末である。
「ま、まあまあ。それより、この子の名前を考えてあげなくては!」
 いつまでもヒナと呼ぶわけにもいかないし、飼うからにはきちんと名を与えてあげないと可哀想だ。
 そういうわけですぐさまヒナの名付けが始まったのだが、いざやってみるとなかなかに難しいものである。リヒトは「それどこの女だ」と突っ込みたくなるような、いかにも人間ぽい女性名を挙げるし、オンブルは怪しげな薬の名前ばかり挙げる。ちなみにヒュドールは面倒だからと不参加だ。
「なかなか決まりませんねえ。もうこうなったら、カディというのはどうでしょう?」
 聞かなくとも、イグネアが挙げたその名の由来がわかってしまうのが痛い。
 ――それは安易すぎだろう。
 この時ばかりは流石のオンブルもそう思った。
 そんな中。
「全く、揃いも揃って情けないのう」
 それまでソファに寝そべって傍観していただけのリーフが、やれやれと起き上った。その姿はようやく重い腰を上げた御老体そのものである。
「儂らがこの地で戦をしていた時代、あえて名を与えられたカディールがおった。そやつはどのカディールよりも抜きん出て強く、そして美しい“雌”だった。その名はイシェ。“最強”という意味だ。どうせ育てるのならば、かのカディールのように最強にしてやれば良かろう」
 “イシェ”――その言葉は今は使わぬ古い言葉だ。そのせいか、イグネアの耳にはとても良く馴染んだ。
 確かめるように「イシェ」と呼んでみると、ヒナは嬉しいのか例の耳障りな鳴き声を上げた。
「いいですね、それ」
 イグネアが呟くと、皆も渋々納得していた。どうもリーフの意見に賛同するのに気が引けるようだが、ここは仕方ない。
 かつて【紅蓮の魔女】と呼ばれたイグネアと、“最強”の名を与えられた雌のカディール。共に女でありながらも戦場で力を馳せていた二人の巡り合わせは、もしや運命なのだろうか――そんな風に考えた矢先。

「キエエエエーーーッッ!」

「……どうでもいいが、この鳴き声は何とかならないのか!」
「ちょっとした騒音だよね、これ」
 嬉しさのあまりかイシェが鳴き声を上げると、ヒュドールとリヒトは耳を塞いで表情をゆがめていた。

 オンブルの話によると、カディールの主食は野生の動物やらであるが、ヒナのうちは親が咀嚼したものを与えるという。
 しかし、さすがに野生動物を捕えてきて……というのは無理なので、代わりに肉やら草やらを細かく刻んで混ぜたものを与えてみた。すると意外な事にイシェはもりもりと食し、満腹になると鳥なりに幸せそうな顔で眠りについた。寝てばかりだが、人間でも鳥でも幼子はそれが仕事だから当然だろう。
「幼い頃に育った環境っていうのは、その後の人生に大きな影響を与えるものだからね。人の手で育てれば、案外温厚な鳥になるかもよ」
「確かにな。カディールは肉食だが、草食として育てれば血気も失せて大人しくなるかも知れん」
「それはともかくとして、巨大さはどうするつもりなんだ。あんなにデカくなったら流石に育てるのは無理だぞ? 餌の用意も面倒だ」
「それに関しては私が対処しよう。もう少しで方法が見つかりそうだ」
 と夕食を突きつつ、男共はイシェについて相談し合っていた。反対していたのが嘘のような熱心ぶりである。余談だが、モルはそんな話し合いにも微塵も興味を示さず、食事を終えてさっさと消えた。
 この面々が一つのことで真剣に話し合うなど、これが最初で最後かも知れない。案外彼らもイシェのことを娘みたいに思っていたりして、と若干見当外れな事を考えつつ、イグネアは先に食事を終え、イシェを抱えて自分の部屋へ向かった。
 イグネアの部屋には、イシェ専用の“睡眠場”が設けられた。小さな籠に毛布を敷きつめただけのものだが、イシェは大変気に入ったようで、幸せそうに眠っている。
 ちなみに何故イグネアの部屋なのかというと、彼女以外に触ることができず、さらに鳴き声がもはや騒音であるからだ。イグネア自身は不愉快に思わないのだが、皆には耳障りらしい。
 魔鳥と呼ばれて恐れられる存在も、幼い頃は無力である。人の子と同じように、親の庇護がなければ生きてゆけない。その姿は歯がゆくもあり、けれど何より愛おしい。マイルを見ているような気持ちになった。
 皆が言っていたように、人の手で育てればイシェは大人しい鳥になるかも知れない。もしかしたら、巨大にならず小さなままかも知れない。そんな風に色々想像してみると、先が楽しみで仕方ない。
 ミリアムさんも、こんな風に子供たちのことを考えているのだろうか――いつになく未来を思いながら、いつしかイグネアは眠りに落ちていた。

「なぜ床に転がってるんだ……」
 扉を開けたままの体勢で、ヒュドールは盛大な溜め息を零した。
 後片付けが済んだ後、気になって来てみれば、イグネアは籠の前で床に転がっているではないか。しかも思い切り無防備な状態で。
「全く、世話が焼ける」
 こんな状況で他の奴らに見つけられたらどうするんだ……などとブツブツ言いながら、ヒュドールはイグネアを抱え上げ、寝台へ運んだ。爆睡しているのか、動かされても目を覚ます気配がない。
 鳥の事には一生懸命なくせに、他の事には無関心なのかと思うと正直言って腹立たしいが、そこはもう割り切るしかないだろう。もっと意識をしろと声を大にして言ってやりたいが、それが普通に通じるような女だったら、きっと自分は少しも興味を抱かなかったに違いない。
 横になったイグネアの左腕を取り、まあ大丈夫だとは思うが起こさないように……と気遣いつつ包帯を解いてみれば、火傷の痕は昨日よりも幾分か良くなっていた。先日飲んだ【万能薬(エリキシル)】の効果が現れているようだ。これならばあと数日で完全に回復するだろう。
 このまま呪いも解けてくれれば連れて帰れるのに……考えて、ふと思いつく。
 ――本当に帰る気があるんだか。
 イシェのこともあるし、こうなるとはっきり言って疑わしい。もう一度確かめない事にはこっちも帰るに帰れない、などとブツブツ言いながら新しい包帯を巻き終え、ヒュドールは静かに部屋を出た。




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