× 第4章 【炎と烙印】 42 ×




 昨日はしゃぎすぎたのか、翌日の朝は少し遅めの起床となった。
 朝っぱらからイシェは「早くかまって!」と言わんばかりに例の鳴き声を上げ、それを目覚まし代わりにしてイグネアはのろのろと身体を起こす。ようやく覚醒した後にカーテンを引いて外を眺めてみると、空はすでに明るくなっていた。
「いかん、寝過ぎた!」
 大慌てで身支度を整え、浴場に向かって顔を洗い、再び部屋へ戻ってイシェを抱えて部屋を出た。抱えられて落ち着いたイシェは、すっかり大人しくなって鳥なりにご満悦な表情である。
 イグネアが姿を見せる頃にはすでに住人達が顔を揃えており、食卓には今日も手抜きなしの料理が並んでいた。丁度よく朝食にするところだったらしい。
 それはいいとして、ここまで顔を揃えていながらなぜに起こしてくれなかったのか、とイグネアはこっそり心中で不満を言ってみたが、彼らにしてみればそれは「好きなだけ寝かせてやろう」という気遣いである。
「魔女様、おはようございます」
 いち早くイグネアに気付いたオンブルが笑顔で椅子を引いてくれた。どうでもいいが、やはりこの甲斐甲斐しさにはいつまでも慣れそうにない。むしろ以前の方がやり易くて有難い。本気で。
 食卓脇に昨晩から出現した専用の籠(モル作成)にイシェを収め、腰を落ち着けると、何やら妙な視線を感じた。
「実は魔女様に朗報がございます」
 イグネアが席に着くやいなや、待ってましたとばかりにオンブルが瞳を輝かせた。何事かと皆の顔を見回すと、彼らは先に話を聞いたような素振りを見せる。
「解呪効果のある【万能薬(エリキシル)】が、近々完成しそうなのです」
「へっ?」
 一瞬なんのことかと思った。頓狂な声を発しつつ顔を上げてみると、ヒュドールは至って平常、リヒトは幾分か嬉しそうな、リーフは若干不満げな、そんな表情をしていた。
「完成まであと一歩ってところなんだって。明朝発つっていう計画はもう覆せないけど、間に合えば君も一緒に帰れるんだよ」
「仮に間に合わなくとも、数日のうちには完成させるとさっき公言したからな。本当に呪いが解けたら……」
「煩いのう。間違いなく連れて帰る。何度も言わせるな」
 という美形共とリーフのやり取りは、申し訳ない事にイグネアの耳を右から左へと通り過ぎて行った。
 呪いが解けるのは嬉しい。リトスを去るのは寂しいが、帰れるのも嬉しい。けれど、どうしても今は素直に受け入れられない。
 言おうか言うまいか……皆の会話をどこか遠くで聞きながら、イグネアは考えた。どうせならば数日と言わず、数か月かけてくれれば良かったのにと思うものの、それはせっかく作ってくれるオンブルに対しても申し訳ないことだ。
 この思いを打ち明けたら怒られるだろうか。いや間違いなくヒュドールだけは激怒しそうだな、と心の片隅で考えながらも、やはり言わなければと意を決し、イグネアは顔を上げた。
「あの、そのことで、お話があるんですけれど」
 ぴたり、と会話が止み、全ての視線が集結する。
 イグネアは一瞬怯んだが、今一度姿勢を正して皆に向き直った。
「呪いが解けるのはとても嬉しいです。もちろん帰りたいとも思っています。でも、私は、もう少しだけここにいたいです」
 言ったと同時、ヒュドールだけ即座に眉をひそめたが、気付かないふりをしてイグネアは言葉を続けた。
「ミリアムさんのお産に、立ち合いたいのです」
 少しずつ育まれた思いは、カディールとの戦闘を経て特に強くなった。自分が二度焼き払った大地に生まれる新しい命を、この目で見てみたいと。その気持ちはイシェの誕生により確実なものとなり、イグネアの中で絶対に譲れない気持ちになっていた。
「ミリアムさんには散々お世話になりましたし、今度は私が助けてあげたいのです。出産の予定は来月ですが、その後も少しお手伝いできればと考えています」
 つまりは、たとえ数日後に呪いが解けても、スペリオルに戻るのは数か月後、ということになる。
 リーフとオンブルは大賛成ぽい。けれど、共に帰りたいと考えているリヒト、そしてヒュドールは良い顔をしない。イグネアの気持ちを考えないのではない。自分達のいないこの場所に置いて行くのが嫌なため、連れ帰るならば出来るだけ早い方が良いと思っているのだ。
「我ままを言っているとわかっています。けれど、どうしても、そうしたいのです」
 真紅の瞳が、黄金と青碧の瞳を射抜くように見つめる。その眼差しだけで彼女の本気がうかがえた。
 しばし沈黙が漂った。リヒトとヒュドールは視線だけで意思を確認し合う。言葉なくとも、互いの考えは同じだ。あの瞳を見れば、たとえ自分たちが何を言った所で動じるはずもないと判断できるのだから。
 共に帰るよりもこの町に残る事を決めた理由が、もしもミリアムの件でなかったなら、ヒュドールは即座に反対し、否が応でもイグネアを連れ帰ろうとするだろう。正直言えば、そうしたい気持ちが全くないわけではない。
 けれど。
「君が確かに自分の考えでそれを願うなら、俺達に反対する権利はない。そもそも、俺達の任務は君達二人をスペリオルへ連れ帰る事だ。結果的に達成されるなら、陛下も理解してくれると思うよ」
 穏やかな笑みと共に、ようやく口を開いたのはリヒトである。
 【紅蓮の魔女】と呼ばれ、たくさんの命を奪って罪を背負った娘が、長い年月を経た後、新しい命の誕生を切に願い、生まれ出た命を愛しく思う。
 ある意味他人に無関心だったイグネアが、人並みに他人を思いやる心を持った事実は喜んでやるべきなのだ。それはヒュドールだけでなく、リヒトやリーフも同じ気持ちに違いない。だからこそ申し出を承諾してくれたのだ。
 不安そうにしていたイグネアの表情が、一転して笑顔になる。そして。
「ありがとうございます」
 心からの感謝の意を込めて、深々と頭を下げた。

 さて、晴れて心の内を打ち明けられてほんのり安堵したものの、イグネアに落ち着く暇はなかった。これからアレ以上に難関な問題に立ち向かわなければならないのだ。
 先程は何も言わなかったが、間違いなく「物申す」と思っているだろうヒュドールに、改めて話をしなければならない。あの場で話したからもういいだろうと思う反面、何でかそうしなければいけないと思う心もあり、迷ったあげく、やはりここはきちんと向き合うべきだろう、と一人会議で決定したのである。
 そんな密かな決意を胸に、イグネアはひたすらヒュドールと二人きりになる機会を狙っていたのだが、何でかこういう時に限ってそんな時間が訪れやしない。普段は朝も早くから町の復旧作業に出かける面々が、今日は揃って在宅しているのだ。
「あ、あの……今日は、出かけないのですか?」
 居間にいたリヒトにさりげなく問いかけると。
「今日は休み。町の皆もね。夕刻になったら俺達の送別会を開いてくれるんだって。楽しみだね」
 話によると、皆が料理やら酒やらを持ち寄っての町をあげての送別会となるらしい。その準備のため、今日は復旧作業は休みなのだそう。ちょっとした祭気分で、町中盛り上がっているという。
 それは楽しそうで何よりだが、つまりはどうあがいても二人きりになれる時間はやって来ないということだ。
 これはまずい! とイグネアは焦った。美形共は明日の朝、早い時間に町を発ってしまう。夜までに何とかして時間を作らなければ……と考え、その後もあたふたしてみるが時間は止まってくれず。
 あっという間に日は暮れるのであった。


 町の中央には広場があり、時折大きな会合の場として利用されている。辺境の田舎町での楽しみといえば、各々が持ち寄った酒や料理をつまみながら、大声で笑いあって何もかも吹き飛ばしてしまうことなのだ。
 日が西に傾きかけた頃。誰ともなしに声を上げて始まった、町をあげての“送別会”は、非常に賑やかで楽しいものとなっていた。開始からまだ一時間と経っていないにも関わらず、すでに出来上がっている者も多数いる。結局は自分たちが飲んで騒いでしたいだけなのだが、逆に別れを意識せず、しんみりしなくて気が楽だ。
 広場にはいくつも団ができ、あちこちから絶え間なく笑い声が響いてくる。
 今日は珍しくオンブルも外に出ていた。イグネアの申し出あって【万能薬(エリキシル)】の作成は急ぐ必要もなくなったため、たまには……と本人も思ったようである。しかし町民達はこれ幸いとばかりに詰め寄って話しかけて来るため、早速帰りたい感を募らせているだろうとは、その表情を見れば明らかだ。
 リヒトやリーフも今夜はあれこれ忘れて騒ぎに身を任せ、純粋に楽しんでいるようだった。こういった催しが苦手というかむしろ嫌いなヒュドールも、若干渋々感は否めないものの、しっかり参加していた。根は良心的であるゆえか、人の好意を無下にする行為は出来ない模様である。
 突然現れた異国の青年達を、町民達はすぐさま受け入れてくれた。短かかったけれど共に過ごした時間は楽しかったからこそ、別れは非常に惜しいだろう。しかも皆二人を異国の王子と勘違いしている上に、それこそ二度と会えないかも知れないのだから尚更だ。けれど誰もが笑顔を浮かべ、寂しさを笑い飛ばす勢いで大騒ぎしていた。それがリトスの良いところなのだ。
 イグネアはというと、身重のミリアムを気遣ってずっと彼女の手伝いをしていた。ミリアムも今夜のために身体もいとわず腕を振るってくれ、ヒュドールに負けず劣らずの美味そうな料理をたくさん作ってくれた。それを代わりにあちこち運んだり、マイルの相手をしたり。腰を落ち着かせる暇もなく働いていた。
 それから夜も更け、盛り上がりもひと段落した頃。眠たくなったマイルを連れ帰るためにミリアムが家に戻るというので、イグネアは彼女を送って行く事にした。
 広場から離れると、喧騒が嘘のように静かになる。いっぱいの星と月だけがひっそりと見守る静かな世界は、リトスのいつもの夜景だ。
「ごめんなさいね、色々気を使ってもらって」
 店に帰って来るやいなやミリアムが申し訳なさそうに言うと、イグネアはとんでもないと首を振った。
「いいんですよ、それより今日はたくさん動いたから、ゆっくり休んでくださいね」
「ありがとう。イグネアも早く戻って。そばに行ってあげた方がいいわ」
「は?」
 言葉の意味が理解できず、イグネアは思い切り首を傾げた。
「だって、しばらくお別れなんでしょう? それなのに離れたままじゃ彼も可哀想だわ」
 ミリアムには今後の身の振りを全て正直に話してある。ゆえに美形共としばらくお別れである事実は知られているのだが、なぜ“彼ら”ではなく“彼”なのだろうかと考えた所で、もしやヒュドールのことを言っているのでは? と気付き、イグネアは大いにうろたえた。
「な、なな、何の話ですかっ」
「ふふ、そんなにうろたえるっていう事は、私の予想は当たってるみたいね」
 ばちっとウインクを飛ばされ、イグネアはさらに動揺した。
 ミリアムはちょっとだけ鎌をかけてみただけなのだが、こうも正直に態度に出されると思わず笑みだってこぼれてしまう。
「ねえイグネア」
「は、はい」
 見上げた先には、母のごとく穏やかな笑顔があった。
「いずれまた会えると言っても、しばらくは自分のいない場所に大切な人を置いて行くのよ。彼は、とても不安に思っているに違いないわ。離れている間にあなたの心が変わってしまったらって」
 真紅の瞳が瞬いた。ヒュドールと同じ事を言うのだと思った。
「だから、あなたの気持ちをしっかり伝えてあげなきゃ駄目よ」
 イグネアは不思議でならなかった。うっかり心を見透かされたのかと思ってしまった。ミリアムは実は【奇術師】の末裔なのかまで疑っていたが、それは、恋をしたことがある者ならば誰にでも理解できる心だ。
 ミリアムの言葉に目が覚める思いがした。慌ただしさのあまりうっかり逃す所であったが……やはりきちんと話をしなければと、イグネアは改めて意思を固めた。




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