× 終章 ×




 太陽の日差しが暖かい、ある麗らかな日のこと。
 番兵さえも欠伸するほど平和――なはずのスペリオル王宮、その中庭では、追走劇が繰り広げられていた。
 追いかけているのは、二月ほど前に配属されたばかりのまだ新米の兵士。若さ溢れる直情丸出し熱血兵士は、何処からともなく現れた人物達を不審に思い、しつこく問い詰めた。見た感じ明らかに庶民と思わしき“二人組”は、臆する様子もなく王宮へと踏み入ろうとしていたのだ。
 大声で喚き立てる兵士を、いい加減鬱陶しく思ったらしい二人組の片割れは彼を無視して通り過ぎようとした。が、それが若き兵士の熱血に火を付けてしまったらしい。すったもんだの末、終いには追走劇と化したわけだ。
「何故に逃げねばならぬのだ! あのような餓鬼、叩き切ってやる!」
「そのようなことをすれば騒ぎになるだろう! いいから走れ!」
 と、若干古めかしい言葉で会話をしつつ逃げる“不審者”たち。そしてその遥か背後では、例の餓鬼……もとい、熱血兵士が相変わらず大声でわめいている。どうやら一向に狭まらない距離に憤慨しているようである。まさか、意図して風が阻んでいるとは知りもしないだろうが。
「と、とりあえず、あの木の上に逃げるのだっ」
「はあ? 何故あのような場所に……」
「いいから登れっ!」
 と不審者の片割れ、娘の方が勢いよく背を押すと、もう一人は渋々面倒くさそうに、けれどもすこぶる身軽に、しかも娘を軽々と抱え上げて木の上に登った。その動作は、まるで風に乗った木の葉のように軽やかだった。

 一方、不審者達を追いかけていた新米兵士は、一向に縮まらない距離と無謀にも奮闘しつつ、しかしながら体力の限界を知り、立ち止まって息を切らしていた。吸い込む空気が喉に張り付いてしまい、哀れなほど激しく咳き込んでいると。
「何の騒ぎ?」
 声を掛けられてよろよろと顔を上げた新米兵士は、視界に飛び込んできた眩さに、思わず目を細めた。日の光を受けて輝く蜂蜜色の髪は、彼を“光の騎士”と呼ばせるには十分な理由である。
「も、申し訳、ありま……その、不審な、侵入者が……」
 新米兵士の必死の報告は見事に息も絶え絶えで、微妙に内容が伝わりづらかった。彼自身、憧れの騎士の前でこのような失態、さぞ無念であった事だろう。
 しかし、そこは場数を踏んだ騎士様、即座に現状を理解し、隣の相棒に目くばせする。
 白銀の輝き眩しい魔術師は、至極面倒くさそうに舌打ちした。
「あとは任せなさい」
 時に“女殺し”と称される――当人にとっては完璧な“営業用”の笑顔を残し、黄金の騎士と白銀の魔術師が足早に去ってゆく。
 その背中を、若干頬を赤らめた新米兵士は、半ば陶酔の眼差しで見送っていた。その後、彼がさらなる憧れを抱いたという事実は、まあどうでもいい余談である。

 二人が駆け付けた時、中庭で最も大きな木の枝が不自然に揺れていた。ガサガサと木の葉が擦れる音が響き、木の葉が不自然なほどに散っている。
「こらっ、静かにせぬと、見つかってしまうではないかっ」
 当人はこっそりしているつもりなのだろうが、無駄に声はデカイ。
 ほんのり懐かしさすら覚えるこの古めかしい言葉遣い、そしてこの声は――と二人が顔を見合わせた矢先。
 ガサガサッ! と一際大きく木の枝が揺れ、ぎゃあ! と無様な悲鳴が響く。枝の揺れ具合から何か落下すると即座に判断した白銀の魔術師ことヒュドールは、素早く木の下に駆け込んだ。彼の上に、落下物が圧し掛かったのはその直後である。
「ひいいいいっ!!」
 さほど高さもないというのにやたら壮絶な悲鳴を上げて落下して来たのは、小柄な娘。呪いを抱えて成長が止まっていたはずのかつての【魔女】は、半年を経て気持ち程度であるものの、雰囲気が変わっていた。それが、呪いが解けた事実を物語っているようだった。
 死さえも覚悟して(大袈裟)目をつぶっていたイグネアは、襲い来るはずの衝撃が無い事に拍子抜けし、恐る恐る瞼を開く。時に燃え盛る炎のような真紅の瞳に映ったのは、冷たく凍てついた麗しい顔。いつかのように、どうやら彼の上に落下したらしかった。
 久々の再会を果たし、懐かしさが込み上げ……るよりも先に、イグネアは「あっ!」と声を上げた。
「髪が、短い!」
 再会の喜びよりも何よりも。鳥の尾のようにしなやかに伸びていたヒュドールの髪は、どういうわけかさっぱりと短かった。
 途端、白銀の魔術師もとい鬼神の頬があからさまに引きつり、こめかみには怒りの証がくっきりと浮かんだ。
「久々に会って、最初に言うのがそれかッ!!」
「ひいいいっ! すまないっ!」
 しばらくぶりに頂戴したお怒りの言葉に、イグネアはもはや反射的にさっと青ざめて怯んだ。次なる怒声を覚悟して身構えていたが……代わりに頂戴したのは柔らかな抱擁だった。
「半年も待たせやがって……!」
 安堵したような、どこか辛そうな声が耳をくすぐる。
 突然のことに若干動揺していたイグネアは、その声に我に返る。少し戸惑って後「すまない」と一言返そうとして、わずかに口を開いたが。
 手のひらを返すように突然突き飛ばされ、無様にも後方に吹っ飛んだ。直後、二人の間を割る形で頭上から降って来たのは、なんと鋭利な剣先である。
 後方に吹っ飛んだイグネアは、背後にいたリヒトががっちりと支え、ヒュドールは地面に座っていた状態から華麗なる身のこなしで体勢を整え、剣と共に降って来たクソガキ、もといリーフを忌々しげに睨みつつ、麗しい顔に似つかわしくない舌打ちを、わざとらしく大袈裟にしてみせた。
「人前で堂々と世界に浸るな、この悪餓鬼め!」
 深緑の瞳が惜しげもなく不愉快げに睨みつければ。
「ああ、貴様いたのか。すっかり忘れていた」
 青碧の瞳が嫌味炸裂で涼しげに見返す。
 イグネア同様、リーフも少しばかり雰囲気が違っていた。多少、そうほんのわずかではあるが背も伸びている。一方のヒュドールも、髪をばっさり切ったせいかまるで別人のよう。
 しかし残念なことに、内面に関しては互いに全く微塵もこれっぽっちも変化がない。犬猿ぶりは健在で、その後はもはや定番通り壮絶な舌戦へと発展するのだった。どちらにしても双方いい加減大人になるべきではある。
 そして、犬と猿がギャアギャア騒いでいる脇では。
「ひいっ! な、なな、何をっ?!」
「何って、心から再会を喜んでいるんだけど」
「だかと言って、なぜ抱きつくっ?!」
「少し大人っぽくなったかな? うん、俺は嬉しいよ」
「話を聞かぬかっ!」
 リヒトにがっちり背後から抱きつかれたイグネアは、青ざめつつ必死になって逃れようとしていた。
 しかし、異様な殺気を感じてはっと視線を向けると、先程まで互いに睨み合っていたはずの青碧と深緑の瞳がギラリと妖しく光っていた。その全身から放たれる怒りと殺意の魔力は、もはや世界をも崩壊させそうなほどに強大で。
「ま、待て待て! おぬしら、殺す気かッ!」
 周囲の空気が一気に冷え、風が唸り始める。
 まずい、このままでは私も巻き添えではないかー! と壮絶に青ざめたイグネアは、咄嗟にリヒトの手を掴んで逃げ出した。

 その後、スペリオル王宮では猛吹雪だか大竜巻だかが吹き荒れたとか何とか。噂では炎の龍が暴れまくったとか何とか、定かではないが。
 とりあえず、平和には違いない。



 【FIRE×BRAND】・完




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