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 停留所からゆったりと歩いて約十五分、ようやく目的の地・エレフ村へとやって来た。無事に新天地に辿り着いた安堵感から、メリーアンとサージュは顔を見合わせてほっと溜め息を吐く。
 第一印象は“緑が多い場所”だった。村の周囲はぐるりと森に囲まれており、やや閉塞感があるものの閑静で、豊かな緑が目に優しい。木々には鳥が止まっているのか、絶え間なくさえずりを響かせている。臨んだ風景は穏やかな田舎の村以外の何物でもなかった。
 村の入口からは白い石畳の道が続いていた。ゆっくりとした足取りで高さの違う肩を並べ、姉弟は村の様子をうかがいながら進んだ。道沿いには民家や個人で運営している簡素な店が転々と並ぶ。家屋は材木や煉瓦を使用しており、販売物は恐らくその家庭で育てた作物や果実などだろう。少し村の事を調べたが、町の方からの外商も時々やって来るそう。完全に孤立しているわけではないようで、そのせいか村の中は思っていたほど廃退感がなく、田舎にしては整備が行き届いているのではないかと感じる。今歩いている石畳がその理由だ。
「こんにちは」
 ふいに足を止め、メリーアンはすぐそばの店先で番をしていた老婆に挨拶をした。挨拶をされた老婆はゆっくりと視線を向け、そこに立っていたのが見知らぬ若者だと知って瞬いていた。
「今日からこちらに移り住む事になった、セリオです。よろしくお願いします」
 丁寧に頭を下げた姉弟に、始めは驚いていた老婆も表情を綻ばせた。
「まあ、若い人がこんなに田舎の村に来るなんて珍しいわねえ。お住まいはどちら?」
「えっと……村の南にある、古い屋敷です」
 サージュが手にしていたメモを確認して告げると、老婆はそれまでの穏やかな表情を少しだけ強張らせた。その変化にメリーアンもサージュも気付いたが、どういう理由かまではわからない。
「あのお屋敷はずいぶん前に建てられた物で、人が住まなくなって長いと聞いているけれど、今さら生活が出来るような所なのかしらねえ」
 老婆は生まれも育ちもこのエレフらしいが、八十年の間に屋敷に人が住んでいた気配はないという。数年前に人の出入りはあったそうだが、恐らくそれはセリオ家の者だろうと予測した。
 いつ頃、誰が、何のために建てた屋敷なのか。そしてかつて住んでいたのはどんな人間だったのか。当然ながら誰にも詳細はわからないが、村の住人は揃ってその屋敷を訝しげに感じているらしい。内部を確かめようとした事があるものの、何か不穏な気配を感じて近づけず、結局そのまま放置されているという。
 老婆の言葉に姉弟は顔を見合わせ、早速不安に陥った。あの父が遺した物だからどうせロクでもないものとは思っていたが……これから住もうとしている家が、そんなに怪しいとは。

 とりあえず老婆に別れを告げ、二人は新住居を目指して南に進んだ。
 歩きながら色々と考える。
 重なる借金で自宅さえも差し押さえられたにも関わらず、このエレフの屋敷だけが残ったのには理由がある。それだけ母の名義になっていたのだ。だからこそ回収を免れたわけだが、果たしてその屋敷は母が心配して遺してくれたものなのか、それとも単なる父の酔狂な研究材料だったのか――この時はまだわからなかった。
 とにかく老婆の話しぶりから、長い間人が住んでいない事は明確だ。となるとかなり古く、場合によっては相当崩れている可能性が高い。もちろん誰一人立ち入った事がないというくらいだから、内部も荒れているのは間違いない。本当に大丈夫なのだろうかという不安は隠せなかった。

 メリーアンとサージュは、並んで上を見上げ、呆然としていた。
 予想はしていたが屋敷は相当古びていた。壁は元は白かったのだろうが、年月を経た末に汚れて変色し、所々にヒビが走っている。周辺には雑草が伸び放題、加えて屋敷の裏手には村の何処よりも鬱葱と木々が茂り、二人揃って口にした感想は「不気味」の一言だった。
 それでもマシだと考える以外、姉弟に選択肢は無い。住む家があるだけ有難いと思わなければ。見た目はかなり怪しいが、二人で住むには勿体無いほど大きな屋敷であるのは事実。ここに来るまでに見たのは村の一角でしかないものの、その中に二階建ての家は見当たらなかったのだ。エレフでは平屋が一般的のようだが、それを考えてもこの屋敷は立派だ。
「外から眺めていても仕方ないし、とにかく入ってみようよ」
 サージュに促され、メリーアンは頷いた。
 入口にはきちんと屋根が備えてあり、雨天時は重宝しそうだと喜んだのも束の間、支柱に目を向けて思わず息を呑む。木製の支柱は風雨に晒されてやはり変色し、そのうち崩れるのではないかと思えて仕方ないほどの腐り具合だ。
「これは後で気にする事にしようか」
「そうだね」
 サージュが懐から細長い扉の鍵を取り出して差し込んだ。ゆっくりと回して鍵を開け、埃で汚れたノブに手を掛けて引くと、壊れた蝶番ちょうつがいが鳴き声を上げ、重たい扉が開いた。
 それまで滞っていた古くさい空気が一気に流れ出し、臭いが鼻をつく。埃っぽさが喉を刺激し、思わず咳き込んでしまった。扉をくぐって広めの玄関に立つ二人を出迎えてくれたのは、鋼の甲冑で全身を固めた等身大の騎士の置物だった。埃を被って大分みすぼらしくなってはいるものの、磨けば価値の出そうなものだ。彼は背後に伸びる階段を守護しているようにも見え、例えば盗人が侵入しても驚いて逃げ帰りそうな存在感と今にも動き出しそうな雰囲気を放っている。
 騎士の肩に降り積もった埃を指で掬い取り、メリーアンは苦笑した。次いで足元に視線を落とすと、新雪に残ったそれのように、入口から足跡が続いていた。そして充満するこのカビ臭はどうしたものか。
 住めば都と言うものだが……これはとにかく、屋内外の掃除と整備から始める必要がありそうだ。


 二階建ての屋敷はやはり二人住まいにしてはかなり広く、全てをすぐに片付ける事ははっきり言って不可能だ。注意しながら一階だけを見回ってみたが、外観よりは内部の損傷は少ない。修復の必要がなさそうで良かったが、とにかく埃がすごい。持参してきた荷物の置き場所にも困るし、何より今日の寝所の確保も出来ない状態だった。
「こんにちは」
 もう一度外に出てどうしようか悩んでいるところに、唐突に声をかけられ、姉弟は揃って振り返った。碧眼の視線を集めた先には若い娘が立っていた。赤毛の髪に濃茶の瞳を持つ娘で、同じ年頃に見受けられる。
「あなた達が、今日越してきたっていう姉弟?」
「はい、そうですけど……」
「初めまして。私、村長の娘のマリアっていうの。よろしくね」
 村長の娘と聞いて二人は慌て、深々と頭を下げた。
「こちらこそ初めましてっ。私は姉のメリーアン=セリオ、こちらは弟のサージュです。よろしくお願いします」
「ふふ、そんなに畏まらなくてもいいわよ。見た所歳も近いみたいだし、仲良くしましょう。私のことは遠慮なくマリアって呼んで。私も二人のことはメリーアンとサージュって呼ばせてもらうから」
 マリアの優しい笑顔に、メリーアンは無意識のうちに安堵の溜め息を吐いていた。見知らぬ地での新たな生活に不安を感じなかったわけではない。もしも村の人と上手く付き合えなかったらどうしよう……そんな風に考えていたものだ。しかしの考えも取り越し苦労だったな、と思う。
「何してたの?」
「えっと……まあ見ての通り、まず屋敷の掃除をしないと住めないみたいで」
 マリアを伴って屋敷に入ると、彼女は初めて踏み入った屋敷の内部に感嘆の声を上げつつも苦笑していた。なるほど、これはひどい物だと。
「これじゃしばらくは生活するどころか掃除に追われそうね。昼間はいいとしても、夜はどうするつもりなの?」
「考え中、としか言いようが……」
 心底困った表情でサージュが苦笑すると、マリアはある提案をしてくれた。
「このお屋敷に来る前に、小屋があったの見た?」
「ええ」
「あそこ、以前は住人がいたんだけど今は空き小屋なの。ちゃんと生活できるようになってるし、良かったらここが片付くまで使ったら?」
「で、でも……」
 たしかに屋敷内があの状態では、今から必死に掃除をしたとしても夜までには済まないだろう。恐らくまともに使えるようになるまで数週間かかるのではないかと思う。となると、それまで代わりの住居が必要となるわけだ。
 申し出はとても有難いが、だからと言って許可無くして勝手に使えない。困惑していると、マリアが片目を瞑って合図を送ってきた。
「大丈夫よ、どうせ誰も使ってないんだし。それに同じ村に住んでいるんだから、困っている人がいたら助け合わないと。同じ年頃の子達なら尚更よ」
「本当にいいの?」
「こういう時に村長の権限って使うものだと思わない?」
 思わず笑ってしまった。何かあっても村長の娘という立場を利用してどうにでもしてあげるから、とマリアが言ったのだ。何とも頼もしい言葉に表情が綻び、申し出を有難く受ける事に決めた。承諾すると、マリアは嬉しそうに笑った。
「見ての通り、このエレフは不便な場所にあるでしょう? 何の娯楽もないし、つまらない村なの。だから若い人は都会に憧れてどんどん外に出て行ってしまう。今じゃ若者なんて私くらいしかいなくて」
「マリアは、都会に出てみたいと思わないの?」
 サージュが遠慮がちに問いかけると、マリアは濃茶の瞳を細めて寂しげに微笑んだ。
「行ってみたいけど……やっぱり私は生まれ育ったこの村が好きだから」
「そっか」
 その気持ちが少しだけわかる。母が死んで新たな町に越した時、始めは懐かしくて戻りたいと思ったものだ。こうしてエレフに移って来た今も、ろくでもない父との暮らしだたっとはいえ、十年住んだシュタットを離れた事で言いようの無い郷愁感がある。自分達の意思とは無関係の移住だったから余計そう感じるのかも知れないが。マリアにしてみれば、このエレフは生まれてからずっと暮らしている村だから思い出も沢山あるに違いないし、もっと愛着があって離れられないのだろう。
「だから、あなた達が来てくれて本当に嬉しいの。何かあったら遠慮なく言って。何でも相談に乗るから!」
 マリアの明るく優しい言葉の数々に、抱いていた不安感など何処かへ吹き飛んでしまっていた。新しい家はあんなだし、まだまだ未知なことだらけだが、友人が一人出来ただけで未来が開けたような気持ちになって、メリーアンは嬉しくなった。
 きっとこれからは楽しく生きて行ける。心からそう思えた。




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