3〜drei〜






 青年が去ってから既に二日が経っていた。
 彼が去った直後、ティアイエルは義父王の姿を探して部屋を出た。廊下でアストレーアに会ったが、彼女は一言伝えるだけだった。
「王は、今は誰ともお会いにならないそうです……」
 わざわざ自分に言うのは、自分に会いたくないからだ、と思った。告げたアストレーアも事実を知ったのだろう、話の途中でティアイエルの目を見ることは無かった。その行為に、少女が深く傷ついたのは言うまでもない。
 逃げるようにその場を立ち去り、再び自室に戻ると、ティアイエルは扉の鍵を閉めた。扉に背を当て、声を上げて泣いた。

 それからというもの、ティアイエルは部屋から一歩も出ず、運ばれてくる食事も摂らなかった。固く閉ざされた扉が開くことはなく、ティアイエルはベッドの上でただじっとうずくまっているだけだった。だから部屋の外で誰が何を話してるだとか、誰が来たとか、そんな事は気にもならなかった。
 ――やはりお義父さまもアストレーアも、【翼人】の力が欲しかっただけなのね。
 もう涙も出ない。それほどまでに泣き尽くしたのだ。
 今は早くあの青年が迎えに来てくれる事を願っていた。不要だから殺されると知っていながらも、そんな願いを胸に抱く自分が嫌で堪らなかったが、早くここから離れたかった。


 三日経った日の夜、青年は約束通りやって来た。
 予想はしていたが、数日の間に随分やつれて表情の暗くなった少女を見て少しだけ驚いた。彼女の瞳は「早く殺してくれ」と言っているようだった。三日前は事実を受け入れられず、死にも怯えてただ泣いているだけだったのに。
 青年の心に不思議な感情が芽生えていた。目の前の少女にほんの少し興味を抱いたのだ。
「……ここで殺すのはやめた。着いて来い」
 真っ白な翼を広げ、宙に身を投げると、青年は大きく羽ばたいた。
 ティアイエルは言葉を発する事も無く立ち上がり、背に翼を現すと、言われるまま青年の後を追った。


 どれくらい飛んできたのだろうか。城からは随分離れたようだが、城を去った安堵感とこれから起こることへの不安感がティアイエルの心を同時に支配していた。前方を飛ぶ青年を追ってきたけれど、研究所に連れて行かれた後はどうなるんだろうか。またポッドに入れられるんだろうか。
 そういえば……ハビアはどうしているんだろう、と気にかかった。問いかけようとした時、青年は急降下し、眼下に広がる石の要塞へと向かっていた。ティアイエルは慌てて追った。

 石の要塞はかなりの広さだ。しかし建物の中に人の姿は無く、不気味な程静まり返っていた。背から翼を消し、青年は無言で歩き続け、ティアイエルは黙って彼を追うだけだった。
 部屋のない長い廊下を抜けると、ひっそりと佇む扉が見えた。それに手を触れずに開けると、青年は中へと入って行く。
 部屋の中は本でいっぱいだった。至る所に積み重なる山に、ティアイエルは暫し目を奪われていたが、ふと我に返って青年に問いかけた。
「あの……研究所に行くんじゃなかったの?」
 何故こんな場所に来たのだろうか。それに自分は殺されるはずじゃなかったのだろうか。
 怯える少女に向かって、青年は言った。
「お前のデータは取り尽くした。今更戻った所で使い道がない」
 使い道が無いとは、もう用済みという事なのだ。
 では残された道は――
「私を殺すの?」
 紫の瞳が蒼い瞳をじっと見つめた。そこに居たのは、もう死を恐れて泣く少女ではなかった。
 青年がフッと笑った。
「そうだな……今すぐここで殺してやろうか。俺にとって必要な存在は、俺と同じ力を持ち、なおかつ従順な下僕だ。お前は力が無い上に自我も強い。俺にとっては目障りなだけだな」
 言いながら青年はティアイエルの細い喉に手を掛け、力を込めた。
 ティアイエルは震えていた。ぎゅっと瞳をつむり、死を受け入れているようでいて、明らかに怯えていた。
 その状態で数分止まっていたが、急に喉を掴む手の力が緩んだ。ティアイエルが瞳を開けると、青年の真摯な表情があった。
「お前が殺されないで済む方法がひとつだけあるぞ。……俺がお前を必要とするように仕向ければいい」
 え、と耳を疑った。
 ――必要とするように仕向ける?
「お前を必要とすれば、お前を殺せなくなる。簡単だろう?」
 簡単と言われてすぐにどうこう出来るものでもない。戸惑っているティアイエルを無視して青年は言葉を続けた。
「あと半年もすれば【次】が出来上がる。それが男だったら問答無用で下僕決定だが、女だったらわからないな。そいつを好きになるかも知れないし、気に入らないかも知れない。ともかく【次】が出来れば、お前は本当に用無しになる。その意味がわかるだろ?」
 殺されるんだ、と思った。
 それを止めるには、自分を必要だと思わせるしかないのだろう。自分で言ってるのだから、彼自身、それしか方法がないと思っているんだろう。
「で、でもどうやって……」
「そんなの俺が知るか」
 冷たい視線を返され、怯んだ。それもそうだ、と聞いた事を後悔した。
「【次】が出来るまでお前は生かしてやる。しばらくここで過ごすから、せいぜい頑張れば? 間違っても逃げ出そうなんて思うなよ。外には力を張り巡らせてる。砦の中は勝手に使っていいが、この部屋にだけは二度と近づくな。近づけば……」
 殺す、と彼の瞳は言っていた。
 背筋がぞくりとして、後ずさる。見えない力が再び扉を開けると、ティアイエルの体は扉に向かって強く引かれた。

 気付いた時には、部屋の外に立ち尽くしていた。固く閉ざされた扉は、開く気配が無い。
 ここにいても意味が無い、と悟ると、ティアイエルは来た道を引き返していった。






 石の要塞の面積は、二人で過ごすには広すぎるほどだったが、ティアイエルはそれを好都合と捉えることにした。要塞は恐らく砦か何かだったのだろう。三階建てで、地下の方には武器庫もあったし、民家にしては大きすぎる食堂や貯蔵庫などもあった。
 寝室もいくつかあったが、ティアイエルは三階の東端にある部屋を自室とすることにした。もとは身分の高い者が使っていたのだろうか、部屋は広すぎる程で、室内に浴室なども完備されていた。大きなベッドの下には赤い絨毯、天井まで届く窓ガラスをのぞいてみれば、これまた広いバルコニー。北方の城に居た時よりも贅沢な造りだ。
 青年が近づくなと言った部屋は西端の地下にある。そこから最も離れているし、出来ればあまり顔を合わせたくないと思ってここを選んだ。あの冷たい瞳で睨まれると、今すぐにでも殺されてしまうんじゃないかと考えてしまう。
 ひとしきり砦内を散策し終え、部屋へ戻ると少しだけ空腹を感じた。そしてすぐに妙だと思った。彼女は三日間何も食べていなかったはずなのに、本当に少しだけなのだ。
 水道はあるので喉の渇きなら癒せるが、食料は地下へ足を運ばないと得られないので、あまり部屋から出たくないものの渋々食料を求めて地下へと向かった。

 白い翼は自在に消したりできるが、窮屈な感じがするため、ティアイエルは出したままで階段を下っていった。城に居た頃は、義父王やアストレーアに「仕舞いなさい」とよく言われたものだが、ここでは誰が見ているわけでもなく誰に注意されるでもないから、ある意味気が楽だった。
 地下の貯蔵庫には、驚く程大量の食物が保管されていた。未だに大勢の人間が生活していることを思わせる。それが気になったものの、とりあえず何か口に合いそうなものを物色し始めると、棚の一角に紅茶の缶を見つけた。城に居た時に好んで飲んでいた【フリュイ】という名の紅茶だ。
 ティアイエルは笑顔を浮かべ、食べ物探しを忘れて早速お茶の用意をした。








 ここに来てから一週間が経ったが、身の回りに変化はなかった。相変わらずあの青年とは顔も合わせない。
 ティアイエルは再び地下へと向かっていた。貯蔵庫から部屋へ運んだ【フリュイ】が底を尽き、また見つけて来ようというのだ。不思議なことに、喉は普通に渇くのだが、あまり空腹感がなかった。おかしいと思いながらも、さほど気にも留めてはいなかった。
 貯蔵庫に入り、以前のように物色していて、ティアイエルは何か不自然さを感じた。全く物が動かされた形跡がない。無くなっているものもない。ここには他に貯蔵庫がないのに、自分以外の住人は一体どうやって生きているのだろうか。
 ――きっと外で食事しているのかも。
 そう思えば、別に何でもないことだった。自分をここに閉じ込め、いずれは殺そうとしている者を心配するなんて、我ながらお人好し過ぎだ。
 ティアイエルは新たに紅茶の缶を見つけ、それと共に小さなポットも見つけた。温かいお茶を入れて持ち歩くには丁度良い、細長の筒状のものだ。
 ――そうだ。
 今日は、この間見つけたあの場所でお茶しよう。







2〜zwei〜 / 4〜vier〜




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