5〜funf〜
何度訪れても気分が悪い。吐き気がする。 ゼルエルは研究所へとやってきた。 建物の中は彼の嫌いな臭いが充満していた。全て人間の手で作り出された偽物の臭い。鼻をつくキツい薬品の臭い。鉄を削ったような機械の臭い。そして人工的な緑の香り――これが一番不愉快だった。 ゼルエルは翼をしまい、颯爽とした足取りである部屋を目指していた。すれ違う研究員たちは、男女問わず過ぎ去っていく美しい存在に見惚れていた。 その中で誰かが「完成された芸術品だ」と口走ったのを、ゼルエルは聞き逃さなかった。その胸を突き破って心臓を握り潰してやりたいと思った。人間の発想は好かない。姿も醜ければ心も醜い。芸術品だと? そんなものは人間の手で生み出されるものではないか。彼の美しさは自然そのもの。決して誰にも作り出すことは出来ない、そう神以外には。 ひどく不機嫌な表情で、ゼルエルは【次】が作られているラボへと向かった。 「作業は順調か」 突然の来訪者に、研究員たちは驚きと焦りの態度をみせた。 「ゼ、ゼルエル様、随分急なお越しですね。どういったご用件でしょうか?」 ラボの責任者が進み出て、ゼルエルの機嫌を取るように話しかけた。 「ご用件だと? 俺がここに来る理由はひとつしかないはずだが」 言いながら辺りを見渡すと、他の研究員たちは何やら慌しく動いている。その辺にあった書類やら何やらを掻き集め……。ラボ中の空気が張り詰めている。緊張しているのがわかる。 おかしい。何かを隠しているみたいだ。 「……例のモノはどうなっている?」 「あ、いえ、まだ完成はしていません」 冷たい蒼の視線が向けられ、責任者は汗だくになって答えた。自分が来る度、この男はひどく脅えて話すのだが、今日はいつにも増して態度がおかしい。チラチラと視点は定まらず、他の研究員に視線で合図を送っている。気付かれていないとでも思っているのか。愚かだ。 ふと部屋の奥に真っ白なカーテンが引かれた場所を見つけ、ゼルエルは無言でそこへ歩み寄って行った。 「お、お待ちください! 何をなさる気で……」 研究員達は慌てふためき、ゼルエルを止めようとするが、彼は聞き入れなかった。 嫌悪感が体中に走る。まだ目にしていないのに、そこにある存在が気に入らなかった。 「ダメです! おやめください!!」 近くにいた女性研究員が悲鳴にも似た声を上げ、腕を掴んで引き止めたが、見えない力で吹き飛ばされ気を失った。 ゼルエルはためらいもせず、カーテンを勢い良く引いた。 「なんだ、コレは……!」 多重ロックで一際厳重に施錠された、棺桶のような人体ポッド。自分の手がける実験には使用されていない、高性能コンピュータ。母と子を繋ぐへその緒のように、それらを繋ぐ一本の太いコードと、神経みたいにか細い、気色悪いほど無数のコード――手を掛けられているのが見て取れる。 母の胎内で眠る胎児のように、その中で安らかに眠る存在は、自分と同じ顔だった。同じ髪の色だった。コンピュータのモニタには、眠る存在の鼓動に合わせて細い線が脈打つ――生きているのだ。 ただ気持ちが悪かった。体中が、細胞のひとつひとつが目の前の存在を拒絶していた。そして一気に頭に血が昇るのがわかった。 「これは一体どういうことだ! 俺は貴様らにこんなものを創れと言った覚えはない!」 美しい顔に鬼の様な怒りを浮かべて振り向いたゼルエルに、誰もが絶句した。 ゼルエルは誰と構わず近くにいた研究員の胸倉を掴み、引き寄せた。 「ひっ! し、知りません! 我々は所長に命令されてやっていただけなんです!」 ガタガタと身を震わせ、目を潤ませて研究員は答えた。だが、そんな答えで彼が満足するはずもない。捕らえていた男を乱暴に投げ捨てると、ゼルエルは再び人体ポッドに向き直る。そして繋がれたコードを数本、無造作に引き抜いてやった。 「お、おやめください! 何をなさるのですか!」 「壊してやる!」 責任者は青ざめて止めにかかったが、ゼルエルは物ともせず、その眼力だけでロックを全て破壊し、ポッドを無理やりにこじ開けようとする。 「お待ちください! 今外に出すのは危険です! 暴走してしまうかもしれない!」 責任者にしがみ付かれた時、ゼルエルはカッとなった。 「俺に触るなッ!!」 激しい雷のような衝撃が走り、しがみ付いていた責任者も近くにいた人間も吹き飛ばされた。 再びポッドに手を掛けたと同時に、コンピュータが耳の痛くなるような音を立て、小さな爆発を起して一切動かなくなった。 その場にいた全員が息を呑み、視線がポッドに集中する。 ゼルエルが鋭い視線を向けると、眠っていた存在の目がカッと開き、そして目映い光を放った。 「くっ……!」 目を開けていられず、ゼルエルは顔を背けた。 ガコンと音を立て、ポッドの蓋を開くと、中にいた存在はゆっくりと動き始めた。 指先を動かしてみる。試すように、確認するように。足を動かしてみる。一歩ずつ慎重に。 ゼルエルにうりふたつの存在は、美しい顔に似合わない怪しげな笑みを浮かべていた。 「き、貴様は一体何だ!」 蒼い瞳で睨みつけるオリジナルを、同じ顔の複製が見つめる。ふと、自分との違いに気付いた。相手は真っ赤な瞳をしていた。血の色みたいだった。 うりふたつの少年は一度ニヤリと笑うと、その背に真っ白な翼を現し、窓に向かって走り始めた。 「待て!」 慌てて引きとめようとするゼルエルの足元で、うめくような声がした。 「無駄です……。彼には言語と会話のデータをインプットしてません。言葉は通じません」 ラボの責任者だった。複製の放った光をまともに受けた彼は、血だらけになって床に伏していた。 そうしている間に、複製のゼルエルは窓を突き破って外へ飛び立っていった。 自分と同じ顔がふたつもあるなど許せない。気色悪い。 ――消してやる! 壊してやる! ゼルエルも翼を現して、すぐさま後を追った。 |
いつものように、東の塔の屋上で風にあたっていた。石造りの砦の屋上は、薄暗く、それでいて肌寒い。 いつの間にか、ここはティアイエルのお気に入りの場所となっていた。ここにいればゼルエルが帰って来るのが見えるから。いつからか、ここで彼の帰りを待つようになっていた。 ――謝るチャンスを待ってるだけよ……。 そう何度も言い聞かせて。でも彼の姿を確認できれば、それだけで満たされる自分がいた。 これは何だろうか。私は彼を怖がっていたはずなのに。あの絶対的な力に脅えていたはずなのに。 しかし、またあの時みたいに、一緒に本が読めたら。大好きなハーブティーを一緒に飲めたら。いいな、なんておかしな幻想を抱いた。叶わぬ事だとわかりきっているのに。 もうすぐ、ここへ来て半年が経つ。初めに彼が言っていた言葉を、忘れたわけではない。 ――半年後には【次】が出来る。それまでお前は生かしておいてやる。 もうその【次】とやらは出来上がったのだろうか。その人は彼に従順なんだろうか。彼に好かれているのだろうか。男なのか女なのか。女の人だったら、もしかしたら彼に好意を抱かれるかも知れない。 色々考えていたら、胸が苦しくなった。 何故だろう。死ぬ事の恐怖よりも、自分が嫌われている事の方が痛い、苦しい。自分を好きでいてくれる人なんて、もういないのに。外見(かたち)だけでも仲間と呼べるのは、彼しかいないのに。でもあの人は、私を仲間だと認めてくれない。 神様、どうか助けてください。 好かれなくてもいいの。ただ嫌われたくないだけなの。 ひとりは嫌なの。 死を免れることよりも、ただそれだけを強く願った。 手摺にもたれ、しばし顔を伏せていたが、何かを感じて顔を上げた。遠くに白い影が見える。ゼルエルが帰って来たのだ。 もしかしたら、ただの白い鳥かもしれないが、ティアイエルには分かる。あれは鳥ではない。 ほっとする自分がいた。いつか、自分を置いて何処かに行ってしまうのではないかと不安だった。だから帰って来てくれるだけでも嬉しいと思う。例え自分の元に降り立ってくれなくても、それでもいいのだ。 きっとまた西の塔の方へ行ってしまうんだろうな、と思っていたが。 白い影は少しずつこちらの方へと向かってくる。 ――え……? と思っている間に、影は目の前まで飛んできていた。 ゼルエルはティアイエルの前でひと羽ばたきすると、静かに灰色の固い地に足をつけた。言葉を失った彼女に、この上なく優しい笑みが向けられた。心臓が跳ね上がる。 ――な、なに……? その微笑みは、美しくて眩しくて。瞳を開けて見ていられないほどだった。夢を見ているのだろうか。あのゼルエルが自分に笑いかけるなんて。何か変だ。いつもと違う。どこか違うみたいだけれど、どう違うのか説明出来なかった。 でも心は正直だった。ドキドキと鳴り止まない。 何か言わなければ、と口を開こうとすると、ゼルエルは笑顔のまま彼女のか細い腕を取って引き寄せた。 「なっ……」 彼の唇が、自分の頬に触れそうだった。 頭が真っ白になった。夢なのか現実なのか、区別がつかなかった。 しかし次の瞬間、二人の間を激しい風が吹き抜けていった。ゼルエルもティアイエルも身を逸らして交わしたが、まともに当っていたら真っ二つにされる所だった。それでもゼルエルの手は、彼女の腕を掴んだままだ。 「その薄汚い手を離せ!」 上空から聞こえて来たのは、聞きなれたあの声。振り向くと、そこにはもう一人ゼルエルがいて……ティアイエルは混乱した。 「え、な……ゼルエルが、二人……?」 パニックに陥ったティアイエルを、目の前のゼルエルはもう一度引き寄せ、今度はその頬に口付けた。 「貴様……!」 蒼い瞳が殺気を帯びて睨んでくると、複製は赤い瞳を細め、妖艶で挑発的な笑みを返す。そしてティアイエルを解放すると、突如現れた風の渦に身を潜め、あっという間に姿を消した。 耳まで赤くし、ティアイエルは呆然と立ち尽くしていた。ゼルエルが二人現れたことよりも、頬に残る感触の方が衝撃だった。まだ温もりが残っている。そっと手を当ててみた。夢なら覚めないで欲しいと密かに願った。 そんな彼女の前に、もう一人のゼルエルが降り立つ。ティアイエルは我に返った。本物を見て、先程のゼルエルとの違いをはっきりと確認できた。 ――瞳の色が、違う。 さっきの人は、赤い瞳をしていた。いま目の前にいる人は、間違いなく本物のゼルエルだろう。澄んだ、それでいて冷たい蒼の瞳をしている。その蒼の瞳は、更に怒りを浮かべていた。 「あ、あの……」 戸惑っていると、腕を強く掴まれ、そのままゼルエルは歩き出した。 「ちょ、ちょっと待って……」 だが止まってはくれなかった。 引きずられるようにして辿り着いたのは、自分の部屋。ゼルエルは、その間一度も振り返らず、彼女を投げるように部屋へ押し込めると乱暴に扉を閉めた。 「ねえ、ここを開けて!」 ワケがわからず、扉を叩きながら声をかけるが…… 「その部屋から出る事は許さない。いいな!」 怒った口調で返事が返って来ると、扉の外の気配は消えてしまったのだった。 「なんで? ねえ、ここを開けて!」 ノブを回してみるが、鍵ではなく、何か強い力で施錠されており、開きそうもない。完全に閉じ込められた。 自然と涙が零れてくる。先程のゼルエルは、初めて会った時みたいに、脆いガラス細工のようだった。触れれば簡単に壊れ、そして崩れた破片で傷付ける。蒼い瞳は一層冷たく、空の青は更に遠かった。 ティアイエルは壁にもたれかかり、そのままうずくまった。 |
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